おれが風呂に入ると途端に全力で動き出す空気清浄機、よくよく考えると飼い主をナメて掛かってるな。ちくしょう。
静かにしてるとあいつも静かなんだが、身支度をしていると途端に煙たがる。アイツも非モテなのか? せっかくRazerのシールを貼ったりしてゲーミング感を出してみたりしているというのに。
WordPressのエディタが変わって、字下げ(段落の1文字目だけ下げるやつ)などにも手を入れてみる。テキストでレイアウトだなんだとアレコレするのは良くないということで、できる限り文章とそういうデザインは分けて文を書くようにしている。なので昔のテキストを引っ張るとなんだかぎこちない所も沢山ある。デイリーポータルZのデジタルリマスター記事はいつも文字が小さくてなんだか読みづらいのと大体同じことだ。違うかも知れない。
前から気になっていたNeogeo miniを買った。
昔のフルプライスのゲームぐらいの値段まで値下げされていた。買ってすぐに餓狼伝説スペシャルをプレイし、1回だけで満足してしまった。PS4のアーカイブも買っていたけれど起動してすぐに遊べるのはとても良い。液晶も昔のゲームボーイアドバンスぐらいの感じで十分なことに気が付き、別に4KだフルHDだと騒ぐ必要は無かった。
京成関屋にある立ち食い蕎麦「雑賀」のそばがうまい。
いつも夜に行くからか清掃は間に合っていない印象が強いが、下手な蕎麦屋よりも旨いものが食える。頼むのは春菊天とそば。大人の拳ぐらいある刻んだ春菊が詰まったかき揚げで、値段と釣り合っていない量と味で不安になる。ここでメシを食い続けていたら、大概の外食に対して不満になる。惜しいなあと思うのは、炊き込みご飯の飯粒が柔らかすぎて崩れてることぐらいか。コメに芯が残っているよりずっと良いし、100円でとんでもない味を出しているので納得している。
強欲でいるとバチが当たる。
Twitterはちょうどいい感じの環境構築、というのが難しい。
こちらとしては世の中がどうなっているかを見てみたいが、検索しても大半が数年前のネタのコピペやら社会問題を持ち出して「オレ、大切で面白いこと言います。オレ頭いいです。センスの塊です」みたいな姿勢で迫ってくるので、見ているこちらが不安になる。
テキストサイト界隈の読者として彷徨ってきた人間が昔見た、誰かの真似を繰り返してる時点で期待を超えられなくなった末期の地獄を見ているのを思い出すからだ。何かがあると各所のコメント欄で暴言、不満、オレは既に分かっていたと書き連ねて騒いでいるのを見て「ああ、ここには才能がある人はいないのね」と希望を見失って、惰性だけで生きていたことを思い出す。
買っていたことを忘れ、不安になって調味料を買う癖がまだ改善しない。
白だしは3本目になった。ごま油は買い忘れる。