Netflix「アメリカンバーベキュー最強決戦!」を見る。
思ったより味覚の想像できるので、見ていても美味しそうに思えたので良かった。肉の食感についてはさすがアメリカというか、部位のこだわりは日本だとホルモンの違いにも通じるような表現の違いが豊かだった。
普段から切り落としとか、こま切ればっかり食ってるような人間なので、素材やら調理の方法についてはまだまだ理解が不足していると思った。
というかプルドポークというものを把握して食った記憶がない。
以前見た大麻料理選手権は味の想像が全く分からない南米料理の味付けが出てきて、美味しいから良かったのかハッピーになれているから多少のことは目をつぶっているのか分からないハードな内容だった。
大麻料理だと燻製と例のオイルがメインになっていて、塩味ベースなのか、甘味ベースなのかも分からない繊細な料理ばかりであまりジャンキーな料理が登場しなかった印象だ。
そもそも摂取したらどれぐらいの量なのかも分からないので、食ってたら健康に害があるのか?みたいな興味ばかりに行く。
理解が乏しすぎるので、「カップラーメンを酒で作ってみた」みたいな解釈に行ってしまう。
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Destiny2のDIM / ロードアウト機能を本格的に使い倒す旅に出た。
まずは色々な人が公開しているものを100種類ぐらいから使ってみることにして、何がデータ公開環境かというのを調べてみる。
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首のヒゲがラムダッシュでは剃れないのでブラウンのひげそりを買ってみた。
今まで気がついていなかったが、髭剃りはメッシュの粗さというか、皮膚に当てる刃の穴がヒゲに合うサイズが重要なようだ。
歳を取るほどヒゲが濃く太くなってきたので、一時期は定期的にT字カミソリを使っていたのだけれどもどうにも調子が合わないので、買ってみたらかなりいい感じだ。久しぶりに肌がスルスルと滑るような感じになったのは嬉しい。学生の時なんか気にしなかったところの箇所だ。
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なんだか、新しいことを勉強するのに時間がガンガン溶けていく。
DockerもWindows版を入れたらWSLがインストールできてないとか言われて一気に面倒くさくなった。簡単にコンテナが作れないのがとんでもなくストレスになる。
これもVMwareに飼いならされていた部分はあるけれど、それでも使いやすさみたいなものが全然考慮はされていない事を知る。
プログラミングと3Dモデリングもその辺りの解説と、手が直感的につながらないのがとてつもなくイライラとしてしまって、単なる勘のニブい中年という出で立ちになって勝手にひとりSMショーをやっているから手に負えない。誰も依頼はしていない、おれの意思で苦しいことをしていると思考停止はしないようにする。
技術屋の一部の界隈だと「こんな難しい方法を正確にできるおれはすごい」という他人からすると魅力的に映らない価値観が横行することがあるから、それもあるのかと思ったりする。
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ラベリアマイク。
オーディオテクニカのAT899と、日本では製造していない奴が最もボイスチャット用途として良さそうだ。
そもそもXLRに対応しているピンマイクが数少ない。基本、無線システムとつなげるために専用のコネクタになっているのが多い。日本でも無線システムだと大きさを理由に忌避されているのだと推測される。
同様にXLRタイプのShureのピンマイクレビューも見たがかなり音が痩せていた。買う気持ちがしぼんでいく。
マイクの出力側のコネクターが色々変わっているところからどんどん小さくなることを求められて、コネクターもネジなりラッチで固定できる機構が求められるから音声は犠牲にしているのだと思う。
この辺りは楽器用マイクの方がボーカルを録るのに向いていそうだ。
昔の代ゼミでやっていたようなダイナミックマイクを組み紐で首からぶら下げるようなものを使った方が早いような気がしていたが、さすがにやりづらいことこの上ないので、探すことに。
ヘッドセットの音質に対して、どれを聞いてもハイとロー両方削られているのか、もとから痩せているのを持っているのか分からないが不自然にしか考えられなかった。ヘッドセット自体は態勢が変わっても音質や音量に対しての配慮が最小限で済むから好意的なデバイスとして見てはいたが、そもそもの音質が電話などの用途がメインで、明らかに機械を通したような聞こえ方になる。プロ系のヘッドセットも雑音の中でどれだけ音声を拾えるかというようなキレイに音声を伝えるというのがかなり、言葉と実際の意味が違うようだ。
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Overwatchのエピソード動画を見ると心が動かされて泣いてしまう。
たった数分の動画なのに、長い映画を見たような気持ちになるので本当にすごいと感じる。更にとんでもないのがOverwatchの作品については全く知らないし、世界の説明なんてのも全く知らない状態で、感情移入して楽しめることだ。
しかし、あまり何回も見ていると精神的に辛くなってしまう。絶望した瞬間に希望が見える、というのを丹念にフリとオチが応酬するという構成で、その希望がこの世にはないから彼らヒーローがこの作品の中で存在する、みたいな気持ちになって悲しくなるからだ。現実は面倒な人と事柄は金以上に寂しがり屋で、尚且つ貧相な所ほど集まるし希望はお金に換金されない。貧乏なほど金が成立しなくなる。