日本カブトムシ

気持ちの悪い動画だが「Japanese beetle trap」を見ていると不思議な気分になる。

アメリカとかでは外来種扱いのコガネムシが大量発生していて、それを色々なもので駆除する動画というが流行っている。罠を仕掛けて袋がパンパンになるまで集めた虫をニワトリの餌にするという生活の知恵みたいなものを紹介していることが多いのだけど、惹かれてしまう。

日本カブトムシというとなんだか薄い本を彷彿としてならないような気がする。鼻フックまつり。


サウナ好きの人が、季節だからと言って全裸にタオル姿のまま屋外で繰り出すような時間軸の世界にはならなかった。


近くに仏教を熱心に勉強していた人がいて、その人の考えから自分でも考え続けてきたからだけど、般若心経の解釈だなんだと主張する巷の流れにしっくりこない。

自分と、自分ではコントロールできない存在との関係を考え続けるものが仏教なのだろうと考えを持っている。なので正しいことがあるという一点で解釈を表明した時点で、その人は仏教を読み違えているのでは?というのが正直な感想だ。どんな解釈に至るのも自由だけど、正しさを伝えるために否定を持ち出した時点でそう見えてしまった。

近しい人は最終的に形式自体にも批評の目を持って接していたから、あらゆる宗派とも距離をおいて自分の中での解釈を詰めていっていた。多くの良いこと、悪いことがあるけれど自分の中でひとつずつ確認して理解は示しつつも違うものは違うと言っていた。不思議なことにそういうのを求めていったら最終的に無宗教という扱いになっていった。自分の中の求不得苦とギリギリの責め合いの中で進めていたような気もする。

今生の苦ばかりに目を向けがちになる中、笑いだったり新しい視点をもたらす、ひろさちやと高田好胤に傾倒していたから、そういうのになっていったのかもしれない。

ずっと仏教について勉強を避けているので、いい加減向き合わないとなあと思う。分かっちゃいるけどやめられない。

2024.07.20 / Category : 小噺

酢飯タコス

朝から雨なので飛鳥涼の「はじまりはいつも雨」を聞きて街に繰り出す。

80年代から90年代のアメリカンポップミュージックの上澄みだけを濾して出来上がったような出来の音楽だと理解すると怖い気持ちになる。AORとかクワイエットストームとか呼ばれているような音楽が知らない間に日本語で染めてきたものが日本での文脈もなく突然出てきたのだ。「Love song」「太陽と埃の中で」「僕はこの瞳で嘘をつく」とプレイリストを進めてミスチルに切り替えていく。

「Tomorrow never knows」「cross road」と聞き進める頃には雨が強く降り出して、音楽を止めた。遠くの山の斜面に地霧が立ち込めているのを見て、イヤホンを外しながら歩く。

足元が濡れた状態のまま色々な偶然が続いていて、まるで導かれているような感覚になる。優しい悪魔が地獄に引きずり下ろす直前の楽園のような優しい時間が流れる。何か止まっていたものが少しずつ変わっていく。


久しぶりに上野のアドアーズにてIIDXをプレイした。

指がもつれてまともにプレイすら出来ない。それにしては下手くそになったな、なのに今のIIDXはレベル8でもクリア扱いにしてくれるんだな、とかを思いながら数プレイする。

プレイに集中しているとそれまで意識していなかったメガネの歪みに気がついた。平衡感覚がなくなっていく。なのでプレイしている時に目の焦点を併せていると液晶画面が斜め手前に浮き上がってくるのが尚更気持ち悪く感じた。

IIDXをプレイしようと思ったのも久しぶりにArmytom曲のリミックスを見て良いなあと思ったからだ。曲も良いし、譜面も曲を楽しむような余白がある。16分をひたすら体力勝負で叩き続けられないのでこういう曲のノリを楽しめるものは助かる。

全体的にPlugOutに出てくる曲の譜面を見ていると5鍵には今まで出てこなかったタイプの叩かせ方が出てくるので、そこも10年以上の探究が変わらない。昔から難易度3~5ぐらいの楽曲のリズムの刻み方は白眉だ。今は曲を作る時間も体力も残されていない状態が続いているので良いなあと思う。

時間というのは作業だけではなくて構想だったりするのだけど、チームで何かをするならペースを崩さずにできるものが個人活動ではとたんに難しくなる。


しっかりと睡眠を取れていないとすぐに重めの頭痛がやってくる。日差しを浴びても目の奥が重くなる。

2024.07.13 / Category : 小噺