雨空でぼんやりと考える。

人の事をああだこうだと言ってる、という表現的に「あの人は駄目だ」みたいなことを言ってる場面に多く出くわす。
他人のことを蔑んだりして、脈絡も無く突然正解がこれだとか言い出して好き勝手に生きている人を見ていると、あれは偉い人でも、野心や夢のある若者だとかそういうのでもなんでもなくて、自立出来ないから他人を自分の支えにして寄りかかって生きてくのか、と気がつく。
自立出来ていない人に対しては関わって教えても自立をするかはまた別なのだから、近づくのはやめなさいなんて過去に説教されたこともあるが、そういうことだったのか。

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感情労働、という単語を最近聞いた。
まさに自分のやっていることだ。残念ながら、そういうスキルを使う仕事がこの世にあるだなんて理解も無い人だともいるので、こちらをそういう性格の人間なのだろうと接してくることがあるのだけど、まあ30年ぐらい立たないと理解は変わらないだろうなと思う。どっちかが冷たい土の下にいるかもしれない次の時代の話しても仕方ない。
立場が人格を作るのではなくて、立場が行動を制限するというミルグラム実験みたいなのが潜在的にあり、何かの庇護にあると信じている人間が独善に走る時の狂い出してる所はいつ見ても気色が悪い。何か隠された確信を自分は気がついた、というような気づかれないよう、わざと険しい顔をしたりする。

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今まで逃げ回ってきているが、年貢の収め時はとっくに逃しているがサーバーレスのサイト開発やら環境構築について勉強することにした。

今のところ、具体的に体系的に分かっていないこととして、gitがある。
具体的にgitとgithubについての考え方だ。PRとかの流れがざっくりと分かったけれどどういうフローでやるのかとか、gitbashとかもあるけれど面倒くせえなみたいな所から入っていく感じだ。
あんまり変な目標を立てるよりかは、まずは既存のレプリカを作って、大まかな所から理解を進めることにする。OSとかもそうなのだけど、ストーリーとかそういうのがわかんねえのに説明無しで取り組まないと行けないから面倒くさい。Linuxなんてどのフォルダに何が入ってるのか、全く分かってないところなんかは引っかかる。特にusrとbinの違いとか。

これ絡みで思う事として、年齢のせいで頭の中に入らないという話だ。
若いときに本を読んでればよかったみたいな話をする年代になった。自分の場合はどうなのか。
勉強することで生存確率を高める状況だから勉強したり本を読んだりする、という所で優先順位を付けていることが多いので、瞬間的に単語が出てこないことはある。しかし論理というか流れを忘れる事はあまりない。
頭に入らない要素が最近増えてきたのは、「インプットするぐらいならさっさと手を動かせ」という要求というか邪魔が多いので、それで止めてしまうことが多い。
集中している時に話しかけられて、頭の中で動いてたものがすべて台無しになる、あの場面がすごく多い。

更に自分の自頭は自分でも把握できてない癖がある。そこを上手に活用するには大人になってから大分経ってからだった。そんな特徴を知った所で大分遅い学習曲線で、歳をとったところで早くなるわけでもない。


集中する必要がある仕事と、集中力が必要としなくてもできる仕事というのをしっかり考えてみる。
無理を前提にして更に無理するとか、意味の分からないことをやっているので尚更、冷静な視点で複数の価値観が存在している状態でなかったら気をつけないと、自然と狂って歪んでいくのだろう。

2023.07.03 / Category : 小噺