最近は、朝の出勤中に頭の中を整理する作業を取り入れている。
というのも家事やら雑事を日頃は捨て去って修羅の世界に飛び込むため、頭がどうかしていることが多い。だったら狂う前にボンヤリと思い出した事などをスマホにピポパポと打ち込むようにしている。ゴミ袋を買い忘れただとか、水道代を払い忘れるなだとかそういうやつだ。そういうのを仕込んでおくと、色々と後から考えず手を動かせるから効率的に動ける。
鍼灸に初めて行ってみた。感想は「思ったのと違う」だった。
沢山の人が効能のいい所を挙げられているが、いざ自分打った時点で、注射針が神経に突き刺さった時のような衝撃がずっと続き、不快な気持ちが精神の大部分を占めていた。体が動かそうとすると針の鋭い痛みが来たる。身をよじると針が神経に触れて痛みがやってくる。
1日立っても別に針を打った所がすこぶる良いという感覚はなくて、単に針を打った時の痛みが消えたぐらいしか感覚がなく、良かったという感想が湧いてこない。人によって良い影響があるだけに自分に効果が無かったためガッカリした。
渋谷と新宿を徘徊した。
モナジアナに行ってきた。くまみね氏のポップアップショップでムジーナのシールとかを買ってきた。ムジーナが投げ飛ばされるエコバッグが無かったため買えず。残念。いっぴきおおかみClubなるもののグッズを買う。一匹狼なのに徒党を組んでいるのでアレでソレな感じだ。
久しぶりに散歩しようということでそのまま向かいにあるタワレコ渋谷店に行った。Nujabes、BringMeTheHorizon、ElectricCallboyのCDを買った。形がある音楽も欲しくなる。どうせだったらレコードが欲しいというのも分かる。音楽は形が小さくなりすぎた。
ここで気持ちが大きくなり、六本木ヒルズを探索しようという気持ちになった。20年ぐらい前に金も無いし社会に対して自分に何も武器を持っていないことを自覚して、すべてに幻滅していた時に1度だけ行ったことがある。そこは金持ちしか歩く権利が無いように見えた場所だった。財布に3000円ぐらいしか無い奴は来ていけない場所だった。
もう1度行ってみて、あの人格否定をしてくるような後ろめたい気持ちは変わるのかというのを確かめに行った。
フロアの中を歩き回ったが興味がない高額なものばかりを売っていることは分かった。人はあまりいない。さっきまで渋谷では歩くことすら困難な混み具合と比べて死んだように静まり返った世界。たまにどこかからアロマオイルのような高級なニオイがしてくる。あの時よりは金に困っていない状況になってから見てみると、「この空間が最高」と重大な勘違いしている人間が集まっている世界にしか見えなかった。価格は高いのだけど、何もが魅力的に見えない。建築物自体が複雑な形になっているのに、何も面白みがない。すべて金を出してもまずそうだったり、貧相にしか見えない感じだったりする。ここに何も憧れるものが無い。
そう思った瞬間に腹立たしくなった。こんな期待されていない場所に劣等感を抱いてた自分は一体何なんだ。カスじゃないか。東京の一等地だと言われてもこんな悪趣味でひどい場所だったんだ。
そう思うと、もう来なくて良いかという気持ちになった。多分、こういうのも忘れてまた劣等感に苛まれるかもしれない。
大江戸線で新宿に向かうと西口の改札がなくなったことを思い出して、感慨深くなる。昔ネットのどこかで終電後のような写真があったけれど、あれが思い出の1ページになっている。(以下著作権失礼)
この西口改札の絵がずっと心に残っているので、今の改札を見ると時代が変わったなあと感じる。
そのままアルタ前に行き、ディスクユニオンだとかなんかを回りSpritboxのアルバムを探したが、売っていなかった。そもそもメタルコアもなければSpiritboxの欄が無かった。FiveFingerDeathPunchは見つけられたが、いいバンドだけどまだ自分の感情を奮い立たさせてくれる曲と出会えていないので見送り。
そのまま新宿なのだからと言って桂花ラーメンを食って帰る。旨いラーメンは一杯あるけれど子供の頃、母親と食べていたものを食べるというのは大事だ。
父親が独身の頃、短期間だけ四ツ谷三丁目の近くに住んでいたらしい。どこに住んでいたかは分からない。その近くに親戚もいないし仕事場からも遠い。本当に謎だ。
推しの子とすしのこのコラボはまだか。