チキンナゲット298円

(以下、GW中に書いていたが公開していなかったものです)

連休中はずっと冷凍のチキンナゲットばかりを食べていた。
業務スーパーで売っている奴だ。いくつか種類があって、オーブンで温めると固くなる奴とふんわりするのがあって、後者を買っている。
オーブンに入れて、脂もなくなってカリカリになった奴を延々と食う。家で食事をするのは贅沢、というのは東京の流儀なのだ。
料理に対してのモチベーションは水回りの豪華さに比例するのだなと思い、狭くて使いづらい台所はすでに単なる洗い場になっている。

ゲームで翻訳(英和)の支援を始めてみた。Desinty2用の非公式ツール「DIM」の翻訳支援だ。
DeepL翻訳なども出てきたが、GUIに使われる日本語というのはまた特殊なのだと感じる。
最近は全角カナに対しての理解は上がった気がしているが、子供のときは半角でカタカナを振ろうとして文字化けが絶えなかった。日本語なのにローマ字で入力して、半角カタカナを使い、全角の英数字を入力する人が大半の国なのだ。
そういう中で、自然かつひっかかりの無い日本語表現をやってみたいというのがあって挑戦している。仕事でもそういうのはかなり取り組んでいるが、一人作業でかつあんまり理解のされない世界だ。面白みもなくなるので、お外に出てみようと始めてみたのだ。

お陰様で先日、不惑の歳になった。
疲れが取れなくなったとか、そういうのは感じるが20代の子とは流石に違う世界に生きているのだなという場面が増えている。
性格こそ変わらないというものの、立場や役割が変わって、明確に若い時にやってきたこと、やってこなかったことが明確になって、同じ歳だけど世界が違う、という人は多くいるのだなという気付きがある。
35歳ぐらいからなんとなく同い年でも話が合わなくなってしまい、年齢の違いが35から60ぐらいは一緒、という世界観で生きていると、若い人は違うというのに加えて、それより年齢が下の子も更に違うのだなという理解が出てくる。
そして子どもたちのあの言動は年を取っても表面は繕っても、変わらないのだというのを知る。偉そうな事を言っても、子供の癇癪とワガママみたいな事があるのだ。
年上だから敬うというのもなくなり、色々なモノで敬意が発露するから、関係性というのが出てきていることが多くなった。そして徐々に若い人達に向かい合う機会が増え、彼らに習うという気持ちも出てきている。

Kindleでジャンルごとに本を分けていたのだが、思い切って「また読む」「もう読まない」「未分類(未読)」という3項に分ける事にした。
ジャンルに分けても仕方が無い気がして、読むスタイルを変えてみた。そもそもこういう本で滅多に読み直しをしないので、本当に良いのかという疑念はある。

好きなものに対しての知見で見ているものが違う、というのが再び考えさせられた。
対戦ゲームで他人を蹂躙できるから遊ぶ人と、駆け引きがしたいから遊ぶう人たちは相容れないというのはここ数年で学んだ。
先細りするしかない状況になるからこそ、マッチングというのが有って新しいものに繋がるというのも学んだ。
最終的に自分が最も魅力的にならないと何も繋がらないのだ。正義を振りかざしても、それは魅力的ではない。若い時にそれを知って、敬意を持って相手と接する人を見ていると、見ている世界が違うのだなと思う。
敬意を持っている事を示すため未格好も整えているし、自分も魅力的であろうとしてる。

雨が夜明けに止んで、空気に湿り気が含んでいるのを感じる。
台湾の時に感じた、コンクリートやセメントに湿気が含む時に発する石のような「におい」を感じた。
冬は終わったのだろう。

2020.06.03 / Category : 小噺