最近は、調味で米酢を買うようにした。
そもそも酢酸が嫌いで、その代わりにレモン果汁などを使っていたがどうにもしっくり来ない為に買うことしたのがきっかけ。
漬けマグロ丼のタレやら、酢醤油の塩梅が分かってきたというのがあるからか、酢のニオイで不快になるような事がなくなったというのも大きい。
それでも酢に対しての信頼は微妙なものでレモンを半分ぐらいにして使うのが自分にとっては良さそうだ。


クラフトビールで色々と好きかもしれないものを買ってきた。
その中でhudson valleyのUltraSphereが最もその中では好みに合っていた。
最初はサワーエールやらセゾンが好きなのかと思ったら、酸味とビター(苦味と書くと不快な表現となるからニュアンスを変えるためにこの言葉を使用)が強調されるものが多かった。
コクのある酸味というのは案外、全体的に味が濃すぎるために、これなら氷結無糖のような軽快な酸味の方で十分だと思ってしまった。

Mortalis BrewingのHydra Guanabana + Tangerine + Strawberryも美味しかった。フルーツビールのテイストなのだが、イチゴをベースにしたフレーバーがとってもおいしい。
結局ビアカクテル的なものが好きなのか?という自分に問い合わせてみたところ、そっちが好きだというのが分かった。
ジャケ買いなのだが、destinyを彷彿とさせるようなロゴデザインだとか、「ハイドラ」という単語を使っていたりinfographicsがNirisが今までデザインしていたものに近かったりとする。
後日、タイフォンだのミノタウロスだのタワーにいる人ならニッコリするようなものばかり取り揃えてきた。
糸切れ凧おじさんにとって僅かな癒しになる。


アメリカ人が書いたビジネス系の本を読もうとするが、9割以上が興味の無い話なので実際は5分ぐらいで50ページを読み勧めることができる。
レストランの奇妙な振る舞いをウェイターとか映画館での子供が泣きわめいた話、水道局でのトラブルとか、全然関係ねえなあと思って読み飛ばしたら最後まで関係無かったのでそういうもんだし、まあ編集とか必要だよなとか思った。奴らは長尺のエピソードトークとか紙面で仕掛けるけどおもしろくねえから、単語だけ抽出したあるあるとか書いていった方が良いかと思った。


なんにもかんにも上手いこといかん。

2023.05.13 / Category : 小噺

ハンバーグ祭 (ハンバーグ山車を曳きながら)

家の外でテンションがブチ上がったと思われるクソガキが上手に防犯ブザーを鳴らして止めての芸を披露していた。そういうパリピの道具じゃねえんだけどなあ、と思いながら突然の事に笑ってしまった。
下町の雑な空気が殺伐とした道具をおもちゃに書き換えて、子どもたちがキャッキャと騒いでいる。


国内のクラフトビールを色々と買ってみたが、個人的な好みに合うものと出会えていない。無念。
何を飲んでも「これならスーパーで売ってるのを買ってくれば良い」みたいな感想になってて良くない。


久しぶりに花火が終わった後のようなニオイのする屁が出た。
事件性がある緊張感というのはいつも突然だ。

2023.05.04 / Category : 小噺

おじいさん型の時計

自分との老化は一体何なんだろうと思い向き合ってきているが、次の形で出てきた。

少しでも寝不足だと具合が悪くなる。頭痛やら色々な形で出てくる。
他にも集中力はあるけれど、集中した時の体力の消費が半端ない。20代の時のようなゲームを1日プレイするというのはもう無理だ。
実際はやろうと思えばできるのだけど、精神的な疲労が如実に出てきて、歩くのすら面倒くさくなるほど、ぐったりする。悪い意味で過集中になれる状態なので、適切に自分のことをモニタリングが出来ないのが良くない。
そういう意味で、手を抜いて全体を即座に見渡す練習をしないと間に合わなくなってきている。色々と人生の経験不足が酷くなって勘が悪い状態が続いている。

思い込みで、自分の中に圧力を掛けて色々なものを加速させるのは頑張っていたけれど、どうにもそれだけでは上手くいかない。

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いい加減、爛れた食生活を治すべくあすけんアプリをスマホに打ち込んで、飯のビルドに勤しむことにした。

バーコードをカメラで撮影すると食べた栄養素が簡単に調べられるので、何を気をつけるべきか分かりやすくて非常に良い。
コンビニで体の8割が出来ているような人間なのだから、バーコードなどいくらでもあるような食事ばかりだ。すぐに栄養状態が分かる
糖質カットのダイエットコースを選んだら、朝に食ったオニギリ1つで糖質が非常に多いと警告された。どういうことだよ、八代目の人。
あとは塩分と脂肪が本当に多いなあと思う。

なんてことのない定食屋のハンバーグ定食も1000Kcal近く行って、1日の半分ぐらい行くのか、すげえなあと知る。確かに夜まで全然腹が減らない。
これで痩せたら大したもんだと人生の重要な事柄をスナック感覚でいじってみる。


最近になってからクラフトビールを飲むようになってきた。
次のブログを見たりとか、ビール自体あんまり飲んで来なかったなあということで飲み始めている。
https://kyotobrewing.com/blogs/kbc-blog/the-dilemmas-for-craft-beer-in-japan

IPAを飲んだ事ないのに青鬼を飲んで苦手意識を持ってしまったのは正直なところだが、別のIPAを飲んでみたら美味かったりするのでセブンイレブンやローソンに並んでいるビールはしばらくお預けでも良さそうだ。
「Key Lime Pie Shape of Haze to Come」とかはコロナビールのような爽やかさにIPAの苦味があって、とても良かった。
https://neshaminycreekbrewing.com/beer/key-lime-pie-shape-of-haze-to-come/
爽やかで飲みやすいビールが今のところ、国内銘柄では出会っていない。


GMMK Proをまたメンテした。
今回はスタビライザーのネトネトしていた所をある程度改善させた。
実はネトネトしていたのはスタビライザーの下に敷いていた吸音シートだった。多分、大きさ的には公式のものだと思うが、最初はルブのつけすぎでだめになっていったのかと思っていた。が、Durockのスタビライザーで交換してもネトネトが改善されないので、消去法で見つけたのがこの原因だった。
しかし、取れた所で思ったよりも改善しないために吸音シート自体はずせばいいんでは無いかと思っているし、最初のバッチのGMMK Proなので改善されていない所が多数存在している。
改善させたけれども好みに合わないというのがなんとも辛い。

2023.04.30 / Category : 小噺

近所にスーパーが出来たのだけれど、ベーカリー的な出来立てパンがないのでかなりションボリしてしまった。
勝手に期待しているのも変な話だが、近所に良いなと思えるパン屋がないので、ないものねだりがあったのかもしれない。


ぴったりと4/1に掛け時計のムーブメントが壊れてしまった。
何かの代わり身となったと思い、感謝してお清めしておきたい。

・・・かと思ったら治っていた。一体なんなんだ。
電波時計で時計が合わせられなくなっているということは磁場が悪くなっているのか?

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もう一回高校の勉強をやり直している。特に理数系。

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個人的な惹かれる店というのがあって、ビルの中でガラス張りで仕切られてる店とかが好きだ。

都内でいうと、有楽町駅前の有楽町ビルヂングのスタバというか昔あった文房具店とかは最高だった。
もう無くなった場所繋がりで、サンシャインシティのワールドインポートマートとか。
大阪だと、リーガロイヤルの地下にあるパレロイヤルを22時ぐらいにコンビニ行くついでに通ると幻想的で良い。
記憶の中だと、ずっと昔に親に連れられてマイカル本牧に行って、親の用で習字道具屋に行ったときもガラス越しに見える店舗でエキゾチックだった。

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2023.04.05 / Category : 小噺

75

最近なってからやたらオモコロを見る機会が増えた。
見たことない果物を食べたり、ジュンク堂で本を探す辺りの記事がとても良かった。
何なのだろうと思ったが、温度感やら、落ち着いて日常の中での延長感があったのかもしれない。Junerayの記事とかも実際に体験している記事なのだからか実際に行くとどうなんだろう、というワクワクが出てくる。DPZの玉置標本の記事とかも好きなのだが、ハードルが高すぎで追体験をするのに気後れする。


オモコロで見た、ビール専門店が北千住にあるというので行ってみた。
CD1枚分、2000円が一杯のビールになっちまうのか、という変な貧乏性がビールの苦味以上の辛い気持ちが泡の中から出てきてしまった。
ビールこそが人生であれば全然問題ない。だけど、10年前なら絶対飲まなかっただろうと思う。あとは40年後も飲まないだろうと思う。

そんなの高尚なのを飲んで自分の人生が不安になるぐらいなら一番搾りにほろ酔いで割ったサワービールもどきで楽しんでいれば十分じゃないかと思った。
フルーツビールなら青鬼に不二家のネクターやらレモンチェッロで割るとか、そういう気軽に楽しめる酒の方が良いなあと思ってしまった人生なので、良いものを楽しむ甲斐がなくなりつつある。
自分を満足させることと他を威圧することを混同させることでビジネスになる最近の世俗にそぐわない人生の歩み方だ。


たまたま上野駅で買ったオリオンビールのホワイトベルジャンを買ったが、軽くて爽やかな飲み心地だったのでとても良かった。


カント哲学を見てて、色々と物事がクリアになるいい感じになるなあと思った。
「知らねえ!」と言って共通するところと出来ない境界線を明確にする所とかをちゃんとポイントにしている。当然ながら、データとして限界が本当はどこまであるんだ?と調べるのが化学だったりするので、見てて楽しい。
[youtube]https://www.youtube.com/watch?v=A4GLYXVRbWI[/youtube]


幼稚な人、というのがスッポリと当てはまる人と接する機会があり、気疲れの原因の原因になるので距離を置けるよう、もがいている。
どっか合う人の輪に行ってくれねえかなあと思ったりする。
一方で限界を超えなければ自分のキャパが自覚できないそれまた能力的にどうなんだという人がいて、日常会話すらままならずご機嫌を取る時だけ反応するという状態。
自分はプライベートだとモラハラを誘発しやすい体質なんだろうなあと思って、あとは自壊するきっかけを生みやすい人とつるめたら色々と強いビルドになれるんだろうかと思ったりする。
うるせー馬鹿(アスキーアート)。

2023.04.01 / Category : 小噺

???「私は、小林秀雄の霊言です」

chatGPTは命令書さえ準備していれば、元々の文をベースにそこそこきれいに書き直してくれる。
校正をするにはとても良い機能だ。

だけど文章生成、という言葉にしっくりくる事がない。人間ではないから生成する、というのも分かるのだけど。
直感で、なんとなくGPT4関連についてエンジニアリングではないのを見ていると山師が群がっている時の賑わいみたいなものが見えるときがある。
この先、AIを利用するにあたって、昔だと複数の新聞を読んで物事をどういう風に取り出して、どのような表現をしているかみたいな所に注視するか、みたいに複数のAIベンダーを組み合わせて互いに指摘内容のアレコレを揉んだものが出てくるんだろうなと思ったりする。


失敗を許さぬ者というのは、浅薄な人間なのだと指摘されるようになり、私にも理解できるようになってきた。その人たちの考え方を見ると、まるで「自分以外の存在が、この世には無い。あったとしても価値は低い」とでも言いたげである。

感情は人間にはあるけれど、それを表現してはならぬという状況に生きているため、もはや私に人間としての存在意義はあるのだろうかと思うことがある。そして半分あきらめの気持ちで、ただなんとなく過ごしている。
無意味に感情を爆発させることはないが、喜怒哀楽を表すことがむしろ幼稚となる場面が多く、状況に合わせて機械的に作り出すことがほとんどである。本能が腐っていると言われても、苦笑するしかない。
人生においては、正しく感情表現することが重要だと思うが、感情的になっても何も得たり損をしたりすることはないと思えば、そこに関係はない。それでも、何かが感情を封じ込めるようになってしまっている。

このあたりでつまずくと、人生とはとても面倒である。私は経験が浅いのかもしれない。人生半分が過ぎた今でも、そんなことを思ってしまう。


カロリーゼロの食品が増えた今日、それらを食べることが危険だという経験をした。栄養素としてはカロリーゼロなので、栄養過多になる病気はある程度無視しても良いだろう。そして、「未知の薬品が潜在的に体を蝕んでいる」というのも、学問を持たない素人が自分の正しさを押し付けるだけの傲慢さだとして無視しても問題はないだろう。しかし、より危険なのは、心理的安全性が逆効果に働くことだ。

「いくら食べても大丈夫」という思考は心強いが、結局必要以上に食べてしまい、病気が進行するときのストッパーが効かなくなる。根本的な問題の治療や認識を怠ってしまい、食べ過ぎを解決しようとするインセンティブが働かなくなる。なぜそんなに食べてしまうのか疑問に思い、カロリーゼロのものをただ食べることに陥り、複合的な病気の原因を作ってしまう。好きなものを気にせず食べられる人生の方が遥かに良いが、どうにもカロリーゼロのものを食べることにメリットを感じてしまうと、墓穴を掘っていることに気が付かないことが多い。


AIのイタコ芸が精度がたけえな!! 最高!!

2023.03.25 / Category : 小噺

chatGPTで書き直されるサイボーグ日記

Gregoryのバックパック選びは面白いもので、自分が何を買ったのか思い出せないことがある。たぶん、イージーデイやキャンパスデイのようなものを手に入れたのだろうけれど、どれもホームページに掲載されている商品とは一致しないのだ。
1年経つと、前のモデルはすっかり姿を消してしまっている。そんな状況だから、バックパックの容量もわからなくなってしまう。もしかしたら、過去にもこんなことを考えていたのかもしれない。

そんなとき、ふと考えることがある。伝統とはいったい何なのだろうか、と。

—-
ネット記事「ベストサウナ」で、ヨッピーとヒロシが対談しているのを見て、いい論争が繰り広げられているなと感じた。

個人的には、ヒロシ側に共感する部分がある。情報に貪欲になりすぎて人間味を失っているように見える人がいると、平面的な世界に生きているのではないかと思うことがある。立体的な考えが偉いわけではないが、自分がどちらを好むかを理解して進んでいるような様子が見えないため、自分を騙しているのではないかと感じてしまう。そんな時、石野卓球が「メディアに踊らされている」と笑いながら言っていたANNの放送が頭に浮かぶ。
一方、ヨッピー側の人から見れば、自分たちのような敵対する者に対して「年を取って偏屈で気味が悪いから、人間的に腐ってる。素直になれ」と思うのかもしれない。

距離を置いて考えると、平面的な世界にも広がりがあることに気づく。立体的な考えとは別の魅力があるのだと、今更ながらに思う。
そんなことを考えていると、ふと「好きな形は1つしかない」という思いが頭をよぎる。そんな決まり切ったものしか認めないような考え方は、大切な部分を見過ごしているようで、取り返しのつかない事態に陥る前に自壊しそうな印象を受ける。

例えば、自分にとって90年代のレイブミュージックや10年代のダブステップはそんな感じだ。コミュニティの中で共通の楽しさや精神的な開放を共有できる幸せを音楽で追い求めていた。しかし、ユーロビートの場合、実際には「場末の店で大音量で鳴る、ゲスな欲望が渦巻く時にかかる音楽」という位置づけになっていることを知って、心が張り裂けそうになる。自分の頭の中で描いているものと違うと、そのギャップに耐えられない部類の人間だと自覚する。

そんな考えから距離を置くために、次第に孤立してしまっているのかもしれない。

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最近、「女装じいさんと男装ばあさん」という漫画を読み始めた。とても面白い。
おそらく、この漫画が気に入っている理由は、「本人たちを周りの人間が、理解の有無に関わらず特定の価値観で追いつめない」という部分だと思う。
自分の周りには、好き勝手に他人に対して無自覚で暴力的に要求してくるような、他人を支配できるとでも思っている人がいることに対して嫌悪感を抱いているんだ。そんな人たちには、正直言って「うるさい」と思うことがある。


何度目か分からないけど、数学や物理、そして化学をちゃんと勉強しないとと思って、のんびり過ごしているこの頃。近所のブックオフで教材を買おうかと考えたけど、徒歩圏内にはまったくブックオフがないんだ。都内とは思えない状況だよね。
確かに、まともな本屋が全くない地域に住んでいるので、文化的な要素が欠けているのは仕方ないかもしれない。でも、それでもやっぱり大変だよね。
東京に住んでいるけれど、本を買いに行くために電車に乗って都心まで出向かないといけないなんて、少し面倒だよね。

最後はプープーテレビのフジワラFMみたいな完成度になった。どういうことだ。
あとは、レイブミュージックの下りでやたらと警告が出てきた。何が駄目なのか指摘されないのでフィードバックにて、これが表現的に間違って解釈しているぞとクレームも出せない。

2023.03.18 / Category : 小噺

虫のような生活

そもそもコオロギを食べたくない、というのがあるんだけど色々と様子を伺ってると、「コオロギを食べましょう」「コオロギを食べるべきです」と一方的に要求してる人しか見えない。
「アイツラ自身が食ってねえし、おれは虫が嫌いだから食いたくないし、この状況はひたすらキモいな」という感想が3秒ぐらいで出てきた。

海外の経済学者が前にニュースでインタビューをしていたけれど「日本人とかは虫でも食ってればいい」みたいな、心の底で何を考えているのか分かるような表情をしっかりとカメラにおさめていたので、そこは誠実だなあ、とは思った。明確な敵対心。

自分から見える景色としては昔、流行っていたclubhouseのノリに近い。
金の匂いにどこからか集まってきた、まだ捕まっていない連中が「どうすればコオロギで金儲けが出来るんでしょうか?」みたいなトンチンカンな質問とかを繰り広げて怪気炎を上げているような状況だ。
虫だけにそんな連中は駆除されて欲しいなあとボンヤリおもう。

なんとなくこの当たりの違和感は一神教にありがちな根底の考え方にある「こいつらは人間じゃない。だから、限られた人間の食料を明け渡すな」というような本能的な差別意識みたいなものが見える。
権威だなんだと言われて何も疑わずに正しいと丸め込まれた人たちが周りを振り回しているようにしか見えない。
歴史的にそんなことをやって根絶に近い形に弾圧されたのは天草四郎の一派だけど、やっぱり今でも騙されてヨーロッパに家族を奴隷として送り出すことは繰り返すのかなあと思ってしまう。


AIのいいところは、検索エンジンみたいなところかなあと思った。
昔の検索エンジンのように検索結果に欲しい情報が提示されて、そこから実生活に活用する、というのがある。

じゃあ、ここから色々と進化していくと予想すると、情報汚染されたAIから倫理的に認められない発言なんかを商業的な理由で発覚されないように手を加え、狡猾に色々な所に仕掛けて洗脳のやり合いみたいなものになっていくのだろう。

生まれて20年も経過した今のgoogleなんかは、こたつ記事提示の品質の低い情報を最初に検索結果に掲示するしか出来なくなっている。そんな今の姿をみているとAiの数年後の姿は、進化したかのように見えて「いかがでしたかブログ」みたいなノイズしか生成出来ないようになっていくのではないかと推測している。検索エンジンとしては優秀なのかもしれないけれど、探した先がクソしかないし、クソが良いものと認識されるようになっていってるから、浄化槽の中身を延々と循環しているような状況になっているかもしれない。

そんなことを考えていたらオードリーのANNで同じ様にGPTChatを使ってみたら延々とその場しのぎでGPTChatが正しくないことを延々と言っていて、やっぱり信頼できる人の方が良いという話をしていた。

宗教は頭のいい人たちが作りあげたのは間違いない。そのフレームワークからを上手に利用し、好き勝手に危機を生み出してビジネスが最近増えているんだなあと思った。
昔だとアメリカの拳銃問題があったけれど、法律で禁止されているから世界中で問題にならずに済んだというのがあるけれど、ちょっと前なら大麻解禁問題だと法律で禁止された所で薬物だから汚染されている。
これはアヘン戦争と同じで、暴力を資本に交渉をする時代になっているから、戦前になりつつあるというのも分からんでもない。

2023.03.05 / Category : 小噺

人間が自然に手を加えて形成してきた物と心の両面の成果

サブカルチャーとメインストリームカルチャーとあるけれど、メインストリームが一体何かと曖昧模糊すぎてなんだかわからない。
というか、メインもサブも関係なく、サブと言われてる小さな集まりが村社会みたいに外界と遮断して交流とか流動性もない感じがしている。共通認識みたいなものもなくなりつつあるのかもしれない。
全体的に社会を形成することを求められてるのに、他人に敬意を示さないことがトレンドになりつつある。


政治と宗教と野球の話はするな、というのを思い出すけれど政治と宗教の話がこんなにもオープンになっている所を見て感じたのは「監督であり神である自分が絶対的に正しくて、プレイヤー全員がカスなので、世界が自分の思い通りにならないのが我慢ならない」という話をする材料として利用されているから、忌避されているのだというのがよく理解できるようになった。

別に政治やら宗教が良いも悪いもなくて、他罰的かつ無責任な言動で自分が正しいと言い張る人間が近くにいると鬱陶しいだけなのだ。特に日本語だと言葉以外の表現に頼るコミュニケーション方法を取ることが多いので「お前より俺の方が素晴らしい人間なのだ」みたいなことを言外で言われてたら、そりゃ「理由も無いのにどうして巻き込まられたり、そんな事言われなければならないのだ」と嫌な気持ちになる。そんなのばかりに囲まれていたら認知の歪みが生じて、他人の不幸を願うようになるのが当たり前になる。

ただ、最近は政治と宗教以外でもこの言動をする人を見る機会が増えているので、人間の感情はどうにも上手に付き合わないと大変なことになると気がつく。
ポジティブな事を言えというのも理屈はあるしジョークが言えるだけの余裕じゃなくて、そういうとは面倒な存在とは近づきたくないと自己表明はしていきたい。


老人のように同じことを何回も言うのは、忘れてるというのがあるんだけど発言した時に頭の中をフル回転させてないからだというのに気がつく。
大切な場面だと忘れないけれど、ユルんでる時には何を言ってるのか覚えてない。別の言い方とすると発言よりも別のことに意識が行ってるから前に何を話していたとかも忘れている。
セックスの間に田嶋陽子のことを考えてるようなことだ。
なんのことを言ってるのか自分でもよく分からない。

とりあえず、ボケ始めたということは色々と安寧の時間に突入しているということなんだと思うことにする。


Destiny2が新シーズンに突入した。光の終焉という穿った見方しか出来ないようなタイトルが付けられていて邪推だけが出来ていく。
どんどん人類が窮地に追い込まれていく。僅かだがゲーム内で希望の象徴とされていたトラベラーも地球から脱出しようとしていた。
これは人間に対して「そこまでの力は無い」という判断で動こうとして、結果今の状態になっているのだと思うと、次の展開はなんとなくだが読めるような手かがりがある思えてしまう。
こんなことを毎回考えているがあたった試しがない。
楽しみ。


Youtubeで地理の雑学ゆっくり解説を見始めた。
高校の時は地理大好き野郎だったため、こういう地政学が大好きだ。環境制限というのは結構物事が決定される重要な要素になるから俗説・仮説の一つだとしても楽しんでしまう。


そういやテック系カルチャーの雑誌とか見なくなったな、と気づく。
技術自体に向き合うのではなくて、今だとAIと暮らしをあわせたような、なんだかオーガニックな感じで技術とかそういうのを一切感じさせないのはたまに見る。雑誌のwiredが昔からやっていたようなヤツだ。
今だと雑誌を作るよりYoutubeの動画コンテンツを作るほうに流れてるのかもしれない。

2023.03.04 / Category : 小噺

TverよりもGyaoが好きだったが、近日終了する。
ストレスなく見られるのがとても具合が良かったのでTVerでもそういう快適に視聴できることを願うばかり。


生活のリズムというのを今更理解し始めている。
今までは出来なかったことは徹夜覚悟でやるとか、そういうのが当たり前だと思っていたがアウトプットを要求されるようになると途端に、毎日の中でどれだけ地肩を作れるかで左右されるのが理解できるようになった。
浪人生をしていた時などは生活そっちのけで勉強するとか、そういう習慣をある程度まで引きずっていたけれど、それは自分である程度の生活パターンを決められるなら全然問題なかった。
今だと、決まった生活パターンを求められてて、今までの自分の生活とは違うのに苦労していた。自分の生活で結果を出せていた所もあって、執着があった。
そういうのを客観視できるようになると、気持ちが若干変わる。


今頃、掃除機を色々と試しているがダイソンよりも今まで使ってきた国産の掃除機がずっと使いやすいという意見になっている。
東芝の掃除機を使っているが、不満が何もない。一時期、コードレスがどうだとか布団のダニの死骸を吸えるだの言ってたが、使いづらいので使わなくなってきてしまっている。


物が少ない生活をしたいのではなくて、沢山ものを収納しても床が見える大きな家に住みたい。何が生活感が無い家だ、と気づいてからは豪邸に住みたくなってきた。
断捨離の動画を見てても何も羨ましくないのが、必要なものが手元にないのを見て見ぬふりしているからだ。
それなら大きい家に住みたい、という気持ちの方が大きい。
ただ、不思議なことに大きい家でも間取りが素晴らしいという家に出会ったことがない。金を出さないとそういう家が出てこないのか、防火的なアレで格好いい家は消滅したのかわからない。
いい家に住みたい。


リスキーシフトという言葉を知る。
そして集団思考という単語も同時に知る。サイバーカスケードという単語も。集団思考、という単語についてはリアルなサンプルがすぐそこにあるので、文章を見てると思わずテンションが上がるほど見ていて楽しい。

2023.02.27 / Category : 小噺
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