手記。
結婚に関しての記事を見る。全員が足元を見ているような、要求する文章しか出てこないので止めてしまった。
条件を棚卸ししてすぐに条件が合えば結婚を算段するような、スコアだけでブリーディングするのに近い印象を受ける。
もしくは、悪辣な言葉を駆使し長期化させて、金だけを確実に引きずり出すように設計しているのが透けて見えてしまい、気持ちが進まなくなってしまう。
いずれにしろ全員が自分の利益を最大化させるために行動する、閉じた世界にうんざりしてしまった。
少し前に、壇蜜が「このまま生きていける」と自信がついて結婚しようと思ったというのが気になった。女性でもそんな事を言う人がいるのか、と。
多分、この人と結婚したほうが面白い人生になると踏んだと思われて、そうしたのだと思うと素敵だと感じた。
恋愛と結婚は違うと分かっているのに、あえて一緒の扱い方をして成立させようとする違和感がどうにも合わず、自分で整理するのも面倒になっている。
いろんな可能性が閉じ、結実し、自分の形が仕上がっている中で他人に興味が持てるのか、あくまでも自分の世話で手一杯または、世話の手間を最大限省きたいのかも最終的な判断が求められている。
ずるい回答でなんとかやってこれた30代とは異なり、腹を何度も括らされていく。根詰めて尻拭いもしたが、あまり自分の客観視にするのに拘っても飽きてきている。
いずれにしても、明日死んでもいいと思える所には居られていない。
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Destiny2で効率よく攻略するために変なプレイが横行しているのを見ている。
確かに効率よくプレイした方が短い時間でコンテンツを消費出来る。
だが、個人的にはしても強い抵抗を感じた。
中学の時に遡る。
当時の友人Mが家に来てゲームをして遊ぼうという日の事だった。
その日は自分の親は外出し、友人の分もと夕食としてカレーを作ってくれていた。
ゲームは何をやっていたか覚えていなかったが、いつも通りのことだった。
友人に温めたカレーを差し出したところ、カレーにある肉しか食わず、しかも肉だけのおかわりを要求してきた。
肉以外に価値は無い、みたいな事を言い出して頭おかしいと思ったが自然な口調で言い出した。下手にこちらから何か反応すると、開けてはいけないものを開けて襲ってきそうな感じもあったため、すべての肉を差し出しやり過ごした。
その体験があったため、好意で提供したものに対して対面で感謝どころか好き勝手なことを言い出す人間を見ると、逃げたくなる衝動になる。
友人が帰った後、残した米と野菜にも手を付けられず、自分で残飯として処理した時に強い悲しみを感じたのは覚えている。
Destiny2だとそういう開発者が求めていない所まで好き勝手やってしまえ、みたいな状態になることがよくあるので、上手な人の攻略記事を見て強い不快感を覚える機会がある。
同時に強い自分だけの世界観がある人にも苦手になった。
自分の頭に描いている事を上手に表現できず悩んでいる人の表現に心打つことがあるのだが、自分の表現は理解してもらっていると前提で、自己肯定が強い創作をしている人を見ていると気持ちが悪くなる。
言葉は悪いのだが、快楽殺人者が隣りにいて、自分が目を逸らしてしまったため隣りに座ってた人に理由なく手癖だけで暴力を振るうんじゃないのか、みたいな気持ちになるのだ。
俺を理解できないお前が悪い、どんな手段を使ってでも矯正するみたいな事を平気でしそう、気に入らない人を気分でためらいもなく殺すのではないのか、と。
表現活動をする人は自己肯定だけで生きている人も多いことから、表現活動を通じてそういう人たちと社交する時には不快な気持ちになるのだが、だんだんと積み重なった嫌気に我慢できなくなったのが正直なところだ。
特に自己肯定を全面に押し出すことを美徳とする風潮になってからは特に嫌になってきている。
取捨する情報を選んでおかないと、自分に対してのストレスを拾いに行くことになるので気をつけている。
「売れてねえけどたまにはヒットは打つから舐めるなよ!」という具合の心持ちの表現している人が一番心落ち着ける。
ちなみに友人Mは高校卒業後に1度だけ会ったが、自分を理解してもらえないみたいな不満、世界に対しての怨嗟をずっと言っていたのは覚えている。
仕事は点々と苦労していたようだが、どうも同情はできなかった。数年前に地方移住しているプログに多分、彼だと思うような人がいたが、やっぱり同情はできなかった。
彼は初めて薄い本を買ってきたという快挙もあったが、自分が初めて見たのがサムライスピリッツのアースクエイクがナコルルに乱暴する内容だった。
自分の今の性癖に何の影響も受けていない。
妙齢の豊満な女性が全て晒して仲睦まじくしているのが好きだ。