モラル

食が細くなった。
脂身を口にすると、すぐに体調が崩れる。以前とは明らかに違う。老いが、確実に身体に出ている。

かっぱ寿司で、いつものように皿を重ねようとしたが、途中で気分が悪くなった。満腹を待たず、胃が先に拒んだ。かつては限りなく食べられた。満腹も、節度も、どこか他人事だった。

思えば、その感覚こそが、太る理由のひとつだったのだろう。無制限な食欲は、若さに支えられた錯覚だったのかもしれない。


煮浸しをつくる。

BGMは大江千里「夏の決心」。
公園の水場では、子どもたちが笑い声を上げている。その横を通り抜けて、スーパーへ向かう。働かず、ただ暮らしを整えて過ごしたい――そんな願いが、夏の陽に黒くなるまで炙られる。

台所は、冷房の風が届かない。
安普請の鉄骨からの熱を感じつつ鶏肉、ナス、ししとうを順に炒め、ビミサンとバルサミコ酢で煮る。仕上げに胡麻油をひとたらし。火を止め、冷まして、煮汁を染み込ませる。

常備菜用の器はとうの昔に処分した。
かわりに、手近なステンレスのボウルを使う。それで十分だ。あとは、冷蔵庫に任せるだけ。

昼下がり。ぬるい煮浸しをひと口。

夏の疲れが、少しやわらぐ。


旅行先で買ってよかったアイテムを知るのは好きだ。
けれど、レビュー動画ばかり見ていると、ときどき我に返る。自分は何を見せられているのかと。

実際に役立ったもののひとつに、部屋用のサンダルがある。シリコンゴムの、薄手の突っ掛け。濡れてもすぐ拭けるし、柔らかくて硬い床でも足に響かない。使い勝手がよく、宿ではもちろん、帰宅後もベランダ用にそのまま使い続けた。

大事に保管しようと思わない気楽さもよかった。ビルケンのような厚いものは荷物になる。こういう時は、とにかく薄いほうがいい。


AIも使わず、ただキーボードに向かって思いつくままに日記を書いている。
けれど、あまりに文章が乱れていて、読み返すのも億劫になることがある。書くことに集中するあまり、内容の整理もせず、推敲もしていない。脳内の言葉を、そのまま指先から垂れ流しているだけだ。さすがに、これは見直したほうがいいのかもしれない。

だから、AIで整えていく。

2025.07.29 / Category : 小噺

落日

驚くほど、一日が早く過ぎる。
何もできないまま日が暮れ、気づけば夜になっている。以前は、終わらない仕事に追われ、時間が止まったような感覚の中にいた。
今は逆だ。
手につかないまま時間が流れ、何も積み上がっていないという焦りだけが残る。

仕事が進んでいないことも分かっている。だが、何をすればいいのか、その輪郭がつかめない。ただ、無力感と並んで座っているような感覚が続いている。


スーツケースについて考える。

消耗品だと思っているので、ブランド物を買う気にはならない。昔はリモワにも惹かれたが、旅行の頻度や使い勝手を突き詰めるほど、試行錯誤してこなかった。毎週のように出張があれば、入れ替える面倒もあって、いずれ慣れてしまうのだろう。けれど、たまに使うとなると、かえって余計なこだわりが頭をもたげる。

大きなサイズに関しては、布製が一番いい。軽さは正義だ。
雨を気にすることもあるが、海外で歩き回って宿を探すような旅はもうしない。いま持っているもので、十分だと思っている。

迷っているのは、40Lと50Lの中型だ。
50Lは微妙な容量で、正解が見えない。今使っている布製も、軽いわけではなく、どこか中途半端な印象がある。


オモコロの「素朴-1グランプリ」を見た。巖手屋の南部せんべいが話題になっていた。あれは、軽くつまむつもりで手を出すと、一袋なくなっているタイプだ。

特に、胡麻のものが好きだ。


DOAの紅葉を研究している。
突き詰めると、不知火舞との違いは、髪を結ぶあの飾りの色に行き着く。

たったそれだけで印象が変わる。色が異なるだけで距離が生まれ、白にすると急に“それっぽい”別人になってしまう。細部を追えば、髪型の分かれ方も想像以上に繊細で、曖昧にしておくと、どこかで見たような「くの一」枠に吸い寄せられていく。思った以上に、際どいところで均衡が保たれているのだと知る。


『Destiny 2』の新シーズンが始まった。

だが、翻訳の粗さが目立つ。肝心なシーンの演出よりも、訳文の不自然さの方に意識が奪われる。おそらく、機械翻訳の出力をそのまま読ませているのだろう。演じる側にとっても、聞く側にとってもつらい。業務品質として見ても、かなり低い。

今回のシーズンでは、物語の初動として伏線が多く仕込まれている。『Destiny 2』に特有の詩的な表現と専門用語の多さもあって、翻訳の質が内容の理解に直結する。うまく訳されたときはそのニュアンスに感嘆するが、今回はその逆。意図が伝わらないどころか、逆に混乱を招いている。

登場人物では、オリン、イコラ、ロディの三人が中心だが、特にオリンのセリフがひどい。全体に説明調で、なおかつ支離滅裂。多重人格なのか、意識障害なのか、そもそもどういう状態なのかが伝わらない。イコラやロディは普通に会話をしているのに、プレイヤー側だけが置いていかれている。訳が原因で、演出意図そのものが読み取れない。

イコラについては、過去のシーズンと同様の口調が保たれている箇所もあり、大きな違和感はなかった。だが、それでも「fix」を「固定する」と訳したり、一人称が突然「僕」になったりするのは致命的だった。台詞に対して素人が首を傾げるレベルの誤訳が平然と残っており、裏側の事情が透けて見えるようだった。

ロディはキャラクター性が曖昧な分、妙なセリフも許容されやすい。
「Ay, no」という台詞には、さすがに日本語の会話には存在しないと言いたくなったが、彼のおかげでイコラの意外な一面が見えたのは収穫だった。

全体を通して、日本語が不自由な人が関わっているのではないかという印象が拭えない。チェック体制や翻訳プロセスが不十分なまま進められているのは明らかだ。アンケートは取っているのに、業務の改善が行われていない。むしろコスト削減の口実として、品質評価の形だけ整えた「出来レース」のようにも見える。

ゲーム内容そのものは、明らかに『Destiny 1』を意識した設計が見える。直線的なマップ構成、大量のクエスト設計など、過去作に通じるものが多い。

UIについては、新たに導入されたダッシュボードが煩雑だ。従来のキャラクター画面に役割が集約されていたものを、無理に分類しようとした結果、情報へのアクセスが逆に不便になっている。もしZabbixのような監視ツール的な仕組みが導入されたら面白いかもしれないが、通信設計は相当複雑になるだろう。


※以下、ネタバレを含みます。

イコラの登場するカットシーンで、「CANINE」の中に浮かぶ「NINE」の表記が印象に残った。
canineという語は、もともと「犬科の動物」を指すが、日常ではペット向け製品などにも使われる言葉だ。しかし、この場面での語感は文脈的にもう少し荒いと思えた。「従順な者」「権力に服従する存在」への蔑称としての響きも含まれていたように思う。

自らをそこまで貶めて語る必要があるのか。
あるいは、その表現が示すのは、ナインに敵対する第三の存在――イコラに干渉し、警告を発する何者かの意図ではないかとも思える。

電話の着信シーンも印象的だった。誰かの声が割って入り、イコラは通話を取れなかった。ナインが他者の人生を操作できる存在であることが前提なら、彼女が強制的に列車による異世界転生も必要なかったはずだ。さらに「なぜ車道に列車がやって来たのか」という点には、もう一段階深い意味がありそうだ。彼女の記憶、あるいは前世の記憶に、列車が結びついているのかもしれない。

イコラの人物像は、転生前のスキルセットから想像される。
1970年代、既に結婚・出産を経て、自家用車を持ち、会社に自室を備え、私服で通勤できた女性。当時としては、目が回るほどの社会的達成である。映画『ドリーム』が描く時代と比較しても、彼女は並外れた「強い人間」として描かれている。仮に現代地球に存在するとすれば、2025年現在、イコラは75歳以上の後期高齢者という計算になる。

時代設定としては、ロディが姿を消したおよそ100年後、2070年頃に人類が火星に進出した可能性が示唆されている。5年以内の実現は難しいというのが正直な印象だが、その未来に向けた布石として描かれているのかもしれない。

PC Gamerでも報じられていたが、イコラの職場にある諜報機関「inventio exploratio observationis conexus」のポリシーが、ゲーム『Control』との関係を匂わせる。ただし、『Control』の方は「inventio exploratio imperium」であり、明らかに異なる世界線と見てよさそうだ。中央に傷を負った惑星のような構造が、トラベラーを思わせる描写もあった。何か似たビジュアルを思い出せそうで、まだ届かない。

脇の風景にあったガソリンスタンド併設のダイナー「Moon」も気になった。
今後、舞台として登場する可能性が高いだろう。また、電車の描写も不思議だった。そこは信号のある交差点で、踏切ではない。にもかかわらず電車が通った。あの描写が物語上、回収されるのであれば、非常に興味深い展開になる。

花の描写について。
娘の存在が直接描かれることは、おそらくない。あれは記憶の断片を象徴する小道具であり、ロディではなく、ナインの誰かが誘導の意図をもって仕組んだものと考えるのが自然だ。

2025.07.20 / Category : 小噺

アジア

NoctuaのNF-A14 ULNと、280mmの簡易水冷クーラーを購入し、急いで静音化に取りかかった。低回転ケーブルは、単なる抵抗でしかない。そのぶん発熱につながるので、使用は見送った。

ポンプ以外は、回転数が1000rpmを下回る。結果、部屋の冷房よりも静かになった。ポンプの音だけは、どうにもならない。作業を通してはっきりしたのは、静音を優先するなら、280mmでも360mmでも大差はないということだった。


PCを構築する際、昔に比べて選定の順番が複雑になった。一度、整理しておく。

まず、使いたいCPUを型番レベルで確定させる。
そのうえで、チップセットのグレードを選ぶ。
HDDやSATAストレージの台数も、ここで決めておきたい。

CPUクーラーは使用環境に応じて選定する。
ケースファンの数や、正圧・負圧のエアフロー設計もこの段階で方向性を定める。

搭載するビデオカードのメーカーを決め、
それに合わせてPCケースを選び、
最終的にマザーボードの型番を確定する。

メモリを確保し、マザーボードに搭載するM.2ストレージの構成も決めておく。
OS用と、必要に応じてゲーム・AI生成用途などの分離を視野に入れる。ここまで決まっていれば、パーツの買い間違いはほぼ防げる。

個人的な傾向としては、現在はMSIを選ぶことが多い。ASUSは耐久性に疑問があり、AsrockやGigabyteは完成度に不安が残る。結果的に、消去法でMSIに落ち着いている。ビデオカードについても、動作保証という願掛けの意味も含めてMSIを選んでいるが、実際のところ、同じ企業名でも事業部が異なれば開発方針も別物だろう。ZotacでもPalitでも、静音性や耐久性を優先して選ぶのが現実的かもしれない。

M.2の冷却ファンには消極的だ。
限られたオンボードのファンコネクタを奪われたくない。SATA電源から取れるタイプがあっても、コネクタが大きく扱いづらい。将来的にM.2専用のファンピンが標準化されれば、検討の余地はある。今はARGBのピンに冷却ファン用の端子が置き換えられれば良いのにとすら思っている。それまでは、大きめのヒートシンクで凌ぐつもりだ。

メモリに関しては、体感で差を感じることは少ない。容量さえ確保していれば、大きな不満はない。64GBあれば、当面は問題ないと考えている。DAWなどの用途では負荷のかかるケースもあるが、
仮に生楽器の音源に莫大なスペックを投じるのであれば、その分の予算で人に演奏を依頼した方が、結果的に多くの人が幸せになるのでは――そんなふうにも思っている。


成り行きで、Raspberry PiにZabbixサーバーを立てることになった。
しばらく手持ち無沙汰だった本体に、ようやく嫁ぎ先が見つかり、少し安心する。

ベンダー側の事情で選択肢は限られたが、以下のページを参考にさせてもらった。

https://zenn.dev/aldente/articles/87404fa78379da

作業を進めながら、次に何をすべきかを自然と考えられるようになった。

なお、今回初めて nano を使った。
触ってみて、vi よりも直感的で、自分には扱いやすかった。


DockerにNextcloudを入れてみたが、まだ落ち着かない。

タスク管理――いわゆるBTSやITSのようなチケット管理の機能が見当たらない。また、業務フローを可視化するようなBPM的ツールも見つけられていない。

このあたりは、もう少し調べる必要がありそうだ。とはいえ、より根本的な課題として感じたのは、アップグレードの扱いだ。WordPressのように、GUIから更新できる仕組みが望ましい。

さらに言えば、外部へのバックアップ機能もほしい。
もしかすると存在しているのかもしれないが、少なくとも「小学生でも扱える」レベルのUIで提供してほしい。機能の有無よりも、運用の敷居が気になっている。


SandiskのUSBメモリには、もはや「信頼できない」という烙印を押すことにした。そう決めてから、ようやく心の安定を得られたように思う。

1年すら持たないのでは、と思うような耐久性だ。
品質の劣るダイを、もったいない精神で製品化したような印象が拭えない。競合と比べても、明らかに耐久性が劣っている。

多くの場合、1年ほどで認識不能になったり、書き込みができなくなったりする。購入元は複数にわたるが、仮にすべてがコピー品だったとしても、「それが原因だ」と言われれば、反論の余地もない。だけど、正規品の高いものを買って確認しようという気持ちはもう、どこかに消え去ってしまった。


竹シーツを買ってみた。

叔父夫婦に「夏はあれがあるといい」と勧められ、麻雀牌のようなデザインのものを試してみた。放熱性はたしかに高く、触れた肌から熱がすっと抜けていく。離れた途端、人肌の温度が残らず、冷たさが持続する。だが、それが良いとは限らなかった。

夜は熱中症を避けるため、クーラーをつけたまま寝ている。
その環境下で竹シーツを使うと、寝返りのたびにひやりとし、体の熱が奪われていくような感覚になる。体が熱を取り戻そうとしてか、不随意の動きが増え、目覚めたときにはだるさが残る。そうして今は、使用を控えている。

さらに、シーツの角が寝返りのたびに肩や腕を圧迫し、痛みが気になることもあった。起き上がるときに手をついた感触も硬く、快適とは言いがたい。タイルの上でも平気で眠れる人なら問題ないのかもしれない。

冷たい寝具が好きな人には、よくできた製品だと思う。けれど、自分には「体を温めて眠る」ことの方が、深い休息につながるらしい。よいものなのに、まるで自分の生活に馴染まない――そんなこともあるのだと、少し驚いている。


病院での診察で、どうやら難病の可能性があることが分かった。ただし、健康に直接の影響は今のところないらしい。症例が少ないため、名称が与えられている――そんな印象のある病名だった。

今後は精密検査を受け、病気として本当に深刻なものなのかどうか、確認していくことになる。現時点では、判断がつかない。


KERで以前取り上げられていた「Cinnamon Toast Crunch」を試してみた。思った以上に良い味だった。印象的だったのは、動画の中の感想と自分の印象がほぼ重なったことだ。

こうした紹介は、得てして「本当にそうか?」という疑念が残る。登場人物の味覚と、自分のそれが一致しているのかは分からない。実際、大泉洋の紹介には何度も裏切られた。「おにぎりあたためますか」のロケ地を訪ね歩いてきたが、最後まで彼の味覚とは交わらなかった。多くの人が絶賛する中で、自分だけが頷けない。そういうことがたびたびあった。

最近では、オモコロにも少し同じ距離を感じている。たとえばピェンロー鍋の特集動画など、読み物としては面白い。だが、味覚の共鳴という意味では、自分とは遠い。楽しさの中に、わずかな孤立感が残る。

食べてきたもの、育った文化が違えば、味覚も異なる。そう思って、さまざまなコンテンツを試してはいるが、その多くが商業的な意図や演出に引っ張られており、共感を得るのが難しい。かつて「食べログで味覚の近いレビュアーを探せ」と言われたこともあるが、そのために他人の自意識の海を渡るほど、飢えてはいない。

そういう意味で、KERのKevinは、感覚が近いように思う。試しに彼を指標にしてみたら、驚くほど重なるところがあった。ブルーラズベリーの好みや、細かい味の傾向にも共通点が見える。

いまでは、参考にしている。


『Rogue Genesia』プレイメモ。

「Getting Sciency」と「Particle Physics」は、ガンスリンガーを選び、アナクロ(スーパースローモーション)とアクティブタレント(Fキーで発動する乱射技)を併用するのが正解だった。

弾速についての細かい仕様は不明だが、ハンドガンやSMGで問題なく達成可能。特定のカードでなければならない、という縛りもなかった。素直に育てれば、あっさりクリアできた。

結論としては、想像していたよりずっと簡単で、やや拍子抜けした。

2025.07.05 / Category : 小噺

自動下書き

ようやく、怒涛の1ヶ月が終わった。

今の仕事においても、これほど落ち着かない暮らしぶりは珍しい。忙しさはまだ続いているが、毎日会社と遠方を行き来するような、中途半端に消耗する日々はひとまず終わった。それだけでも、少し救われた気がする。

とはいえ、あの生活が3週間も続くくらいなら、いっそホテル暮らしにしてほしかった。リモートで仕事が許されるのなら、自宅かホテルで静かに集中したかった。そう思いながらも、ひとまず無事だったことに安堵している。


身の回りで、ささやかな熱病が流行している。先々週に体調を崩したのも、もしかすると誰かからもらったものだったのかもしれない。

都内在住の方は、どうかご用心を。


自宅にデスクトップPCを置いているが、場所を取るたびに鬱陶しさを感じるようになった。そのたびに思う。結局は、持ち運びのしにくいハイエンドノートを買う未来しか見えてこない。

音声入力で脳内を整理することも増え、ChatGPTを使うときは、オーディオ周りの準備が煩雑で、ついThinkPad X280を立ち上げてしまう。しっかりしたオーディオ環境を整えようと、ヘッドセットやコンデンサーマイクも試したが、むしろ準備の手間が増えてしまい、使う気になれなかった。

便利さを求めたはずが、不便が積み重なっている。

そんな不快な感覚が、ふとした瞬間にやさしくのしかかる。


手指のささくれがひどい時、マルチビタミンのサプリを数日飲むと、嘘のようにおさまる。それが続くうちに、自分の栄養状態を測るひとつの指標として見られるようになった。ささくれのない生活を心がけたいと思う。

最近は、食物繊維が明らかに足りていないことに気づき、イヌリンを摂るようになった。ところが、食事制限の影響で栄養のバランスが崩れたのか、体が「うんこが少ないけど、どうなってるのか?」と訴えてくるような便通になってしまった。

明らかに腸は高回転で稼働しているのに、出てくるものが追いつかない。人体の神秘というより、ちょっとした不調の再現実験のようだ。もはや、あとはケツからブラックホールが現れるのを待つだけかもしれない。

お食事中の方は、すみません。

マニアの方、お待たせいたしました。


昼休みに、秋葉原でPCパーツを急ぎ購入。

仕事には一切影響がない――これぞ、西村京太郎トラベルミステリー。

ただ残念なことに、俺とまったく関係のない誰かが、既に死んでいる。これもまた、西村京太郎トラベルミステリーの真骨頂である。嘘。

近ごろ、低回転のケースファンが市場から姿を消しつつある。静音PCを組むには厳しい時代だ。不可能ではないが、BIOSでファン設定を細かく詰め、定格を落とし、回転数を下げる――そうしなければ、まともに使えない構成が増えてきた。

5インチベイのファンコントローラーも消え、「静音性」を追求する選択肢はますます狭まっている。140mmで2000回転が当たり前の時代など、誰が予想しただろう。

仮に低回転化を図ったとしても、メッシュタイプのケースでは音が抜け、効果は薄い。一方、窒息ケースの新製品は絶滅し、O11系のクローンが市場を占拠している。やれることが減っていく。

簡易水冷を使っても、360mmはファンが3基必要になる。これをハブ経由で制御すると、回転数が不安定になる。SATA電源から12Vを引いた場合、ファンは制御不能なまま定格で回る。USB接続型のファンコンを搭載したハブもあるにはあるが、付属ユーティリティが貧弱で、ゲーム起動時にライティング干渉を起こす。ひどいときには、起動すら阻まれる。

そうなると、280mmにサイズを抑え、ファン数を減らし、マザーボードに直結するのが現実的だろう。だが、MSIのCarbonクラスですら制御が不完全だったのは意外だった。昨今はケーブルレス連結といった新方式も出てきたが、PWMの存在意義そのものが曖昧になってきているように思う。

ARGB制御の煩雑さも加わり、結局は「マザーボードに取り付け可能なファン数」を前提にケースを選ぶ方が賢明かもしれない。ファンを5基ほどに抑えるのが現実的な上限。

そう考えると、360mmのラジエーターはやはりバランスが悪い。


細かなことでも、ChatGPTと壁打ちしながら企画を練らないと、どうしても言動の質が落ちる。場当たりで動くことが増え、マインドセットもワークフローも定まらない。

それらがない状態では、糸の切れた凧のようなものだ。

ただ、それを「自由にやっていい」と言い換えて、自分なりに挑戦へと転じていかないと、どうしてもモチベーションが続かない。

2025.06.20 / Category : 小噺

台湾、ゴリゴリ旅

台湾に行ってきた。ほとんどの時間を仕事に費やし、息をするように動いていたため、記憶に残ることは少ない。

観光ではなく、ずっとComputexの会場にいた。今年は、AMDの影すら見えなかった。新作ビデオカードは発表されていたが、目新しさは薄く、発表されたのも5060番台程度の実用的なもの。会場全体が、nvidia一色に染まっていた。Intelもまた、CPUに関しては特に強いメッセージを打ち出すこともなく、かつての勢いからの退潮を感じさせる展示だった。

一方で、ジェンスン・ファンが来台した瞬間、ローカルメディアは一斉に速報を出し、その訪台に合わせるように、nvidia本社やスパコンセンターを台北に設立するという爆弾発言。

すべてが用意された流れだった。

たまたま、会場で本人が目の前を通り過ぎていくのを見た。台湾の人々からは、まるで現人神のような扱いを受けていた。その熱気と視線の強さが、いまも記憶に焼きついている。

数兆円規模の産業投資が数日で台湾に流れ込む――その現実を前にすれば、熱狂は自然なものだろう。

ジェンスン本人は、どこにでもいそうなフレンドリーな“おじさん”だった。カリスマとしての圧はなく、それがむしろ現在の“ロールモデル”と呼ぶにふさわしい佇まいだった。余った炒飯弁当を出待ちの群衆に配ったという報道もあった。演出の域を超え、生活感のある人として、確かに地続きの存在に見えた。

アメリカと中国、どちらもnvidiaにとってはもはや“ベストパートナー”ではなく、むしろリスクである――そう言葉にこそしないが、距離の取り方は明確だった。制裁で売上を制限される中国、併合をちらつかせる国に挟まれながらも、台湾を拠点とすることで両者をかわしている。企業として、政治を正面から受けずに生き延びる、絶妙な舵取りだ。

それ自体が、台湾という場所の戦略性を浮き彫りにしていた。

Computex会場では、有名YouTuberの姿はあまり見かけなかった。Hardware CanucksやGamers Nexusの姿もなし。その一方で、NoctuaのJacob氏にはきちんと会い、記念に写真も撮ってもらった。実機展示では、パッシブ水冷に強い関心を持った。NoctuaコラボのFlux Proも、質感が非常に良い。小型モデルを選んでしまったのは少し後悔しているが、Flux自体の機能性は高いと感じた。

Antecは「Nine Hundred」や「P180」といった懐かしい名前でケースを展開していた。狙いは明らかに中年層。しかし内容としては、Corsairの5000DとFluxの折衷という印象で、まだ様子見といったところ。Lian Li O11系のクローンが市場を埋め尽くし、静音性を優先した“窒息ケース”は選択肢から消えつつある。3.5インチHDDを3台積めるケースが、いまやフルタワーにしか存在しない時点で、個人的には魅力を感じにくくなっている。Fractal DesignのDefineシリーズが残した呪縛のようだ。

周辺機器で印象的だったのは、FL-esportsのキーボード。
初めて触ったが、価格と質感のバランスが良く、ゲーム用途にも十分。IQUNIX EZ80は、もし店舗展開されれば、PCMKを超える可能性すらあると感じた。

wootingは若い世代に熱狂的に支持されており、ブースには10代の来場者が集中していた。マーケティングが完全にネットに特化しており、そのリーチ力には感心した。

DOOM: Dark Agesは会場内で何度も展示されていた。
100インチを超えるLEDビジョンに流されていた映像は、悪魔を2つに分けるようなショッキングな映像を流し、場内の空気もまた独特だった。


台湾の町並みについて記しておく。

台湾は初めて海外に行く日本人でも、大きな困難はない。むしろ、差がなさすぎて戸惑うかもしれない。

かつてのように「為替が有利だから買い物に出かける場所」という感覚は、もう通用しない。むしろ物価は、日本と同等か、それ以上だ。屋台料理も安いという印象が残っているかもしれないが、いまでは一品500円ほど。お茶一杯が150円前後と、日本のファストフードとさほど変わらない。

日本が相対的に貧しくなっている現実を、肌で実感する。

タイへの旅行も視野に入れているが、かつては日本の1/5ほどと記憶していた物価も、今ではほとんど差がない。日本円はもはや「価値のある通貨」ではなく、外貨に対する緩衝材のような、リスク分散の一部でしかなくなってきている。

セブンイレブンでは、日本の商品が7割ほど並んでいた。異国の文化を味わいたい人間にとっては、やや拍子抜けする光景だ。「日本の味がないからホームシックになる」というような事態はまず起きない。地元のちょっと高めの価格帯のスーパーも同様で、醤油の棚ひとつ取っても、大型のイオンに匹敵する品揃えだった。「地産地消」というよりは、日本の興味深いものが安くて買っている――そんな実用感がある。

ただし、文化の骨格は中国語圏にありながら、明らかに独立している。会話の調子、儀礼の所作、イベントの構成。どれを取っても、「中国」とは別の道を歩んでいるのがわかる。

地下鉄に乗っていると、台湾の都市としての規模感がじわじわと伝わってくる。都市を“島”に構築するというのは、どれだけの時間と意志を要したのか。タワーマンションを一棟建てて「都市文化の象徴」などと語る日本の風潮が、どこか滑稽に思えた。

気候は日本よりもさらに湿潤で、カビや微生物の存在感が濃い。

空港に降り立った瞬間から、うっすらと漂う土と湿気の匂いがある。ただの土臭さではなく、泥とカビが混ざったような独特の匂いだ。植物の繁殖力が高く、下水処理も含めて街の清潔さは保たれているものの、自然の勢いに完全には勝てていない。それが「異国にいる」という感覚を否応なく呼び起こす。

この匂いは、日本のそれとは異なる。もしかしたら沖縄に近いのかもしれないが、はっきりとは言い切れない。

ただ確かに、日本とは違う空気が、ここにはある。


台湾から戻って以来、どうにも調子が狂っている。何かを置き忘れたまま帰ってきたような感覚が、ずっと残っている。

日本に近い場所だからこそ、かえって違和が際立つのかもしれない。思った以上に、距離の近さは「戻る」ことを難しくさせる。


台湾で買った湿布には、どこか民間療法めいた雰囲気があった。パッケージの印象も独特で、「本当に大丈夫か?」と思わせる素朴さがある。調べてみると、主成分は漢方。「ボルタレンのような成分は含まれていないので、肝臓を傷めない」と堂々と書かれていた。なるほど、そうしたニーズがあるのだろう。

サロンパスの正規品も売られていたが、その隣には「一條根」「金牌」など、どこか懐かしく、異国のにおいを纏った湿布が並んでいた。西洋医学がまだ浸透しきっていないというよりも、別の医学体系が、しっかりと根を張っていることを感じさせた。

こういうものこそが、旅の記憶として妙に残る。飛行機ではなく、湿布の匂いが、旅先の空気を思い出させることがある。


また、秋葉原のはずれにある病院に行くことになりそうだ。前回は盛夏、今回は健康診断の結果に驚かされ、精密検査を勧められて通うことになった。

十年ほど前なら、「余った皮がどうの」「二重に整形できる」など、たわいのない言葉が並んでいた。だが、年齢を重ねてくると、そうした言葉もどこか生々しく、無邪気に笑えなくなってくる。若者には冗談が通じず、こちらも軽口を慎むようになる。

診断結果に「脳に怪我あり」などと書かれていれば、誰だって身構える。覚えのないことでも、数値と所見は正確なのだろう。とはいえ、”death”に関わる単語が前触れもなく出てくるのは、心臓に良くない。

近所の医院はどれも、昔ながらの下町の“ヤブ”という風情が抜けない。通う場所が限られていると、あらためて思う。いざという時に頼れる医療機関がある街に住みたい――そんな思いが、じわりと胸に残った。


台湾から戻って以来、ひとりだけ三週間近く、小忙しい日々が続いていた。その忙しさが原因であることは、自分でも分かっていた。けれど、それを認めてしまうと動けなくなりそうで、心を封じて働き続けていた。

そして土曜日。

張りつめていた何かが切れたように、疲れが一気に噴き出した。熱は39度。ここ数年で見たことのない数値だった。

なんとか病院へ向かったが、体温計の数字を見た瞬間、気力が底をついた。そのまま帰宅し、布団に沈み込むしかなかった。


2025.06.08 / Category : 小噺

文学フリマに行く(予告)

読む側で、だ。

Twitterでいろいろ見てると「話が長い」「文字数制限になると極端な表現になって周囲がポカーンとする」「文章で描いてるものがとっ散らかってる」「見てる側は結論が分からずイライラする」「お前はインフルエンサーでもセレブでもないのに、どうしてだ!?」ようなものが大量に出てくるので心落ち着く。人間らしさに溢れてる。あんなにゆるかった世の中がどんどん複雑になっていく。

精読とかやってる埒が明かない、開き直りのスキルがあると途中離脱が怖くない。理解できないプレッシャーがあっても、最初にイメージをもたせる文章で視線誘導ができてねえ時点でうるせえ黙れ、みたいな強い気持ちで臨める。熱意がない、ロマンスを語るのが下手くその文を見ている興醒めしても良いのだ。

あとは、屋号についてはセンスが求められるなあと思った。名は体を表すから、説明とブレてるだけで情報量がねえなあ、と判断されるんだということも思った。10年以上曲も作ってねえのよく分からねえ名前のレーベルを掲げてる身分には心底辛い発見だ。

そして、夕方起きてしまった。焼きそば食って寝る。


倖佳の前を通ったら、やっぱりというか大将がブチかまし精神全開でメニューが増えてて心配。

勉強熱心だし、ハズレが無い店なのだけど人員が減ってワンオペで拡大営業だから訳が分からない。奥さんの産休もあるし、やっぱり頑張るのはやめます的な感じで上手に調整して欲しいと願うばかり。

案の定、旨かった。体力が続く限りというよりもずっと続けられるようにいて欲しい。


Doom the dark agesがDoom eternalのような不穏な空気過ぎて、やる気があまり出てこない。

Doom2016をやり続けてた人間からすると、DOOMのスキンを使った何かのゲームのmodみたいな気がしてならないのだ。DE自体、任天堂のゲームなのか陽気なパズル要素が多くて、世界観を破壊した要素としか受け取れなかった。鬱陶しさが気になってばかりだった。

さらには今回はパシフィック・リムばりの巨大ロボが出てきたりと、ソリッドなゲームには見えずタイミングでボタンを押すゲームみたいなものではないのかという疑念がグルグルと頭の中で回っている。武器もdoomらしくないものばかりになっているので、doomの名前で好き勝手にやってるなあという感想になっている。セールの時に買って確認するぐらいの立ち位置。


レントゲンでバリウムを飲んだものの、クソが出てこなくて焦る。

結局は風呂に入って体を温め、イチジク浣腸を使ってたら無事におおごとにならずに済んだ。水分も取っていて、しっかり当日中にはバリウムの呪いから開放されていたと思っていたけど、まさか寝起きで呪いの声を聞くとは思わなかった。バリウムの試練。ストランドとボイドの25%デバフ。


最近はアヴァンギャルディの動画を見ていることが多い。

もともとアカネキカクであさちゃんの大阪万博動画などで登美丘高校ダンス部が好きだったが、部活では難しいところ(未成年をメディアに出していいのか?的な倫理的な問題とか)もあるなかで、プロとして進む人たちが形作って出てきたのは本当に良かった。

コロッケが指導する動画でも、色々と示唆が含んでいて方向性が一致する凄さみたいなものもあり、エンターテイメントとそうでない所の話も分けて語っている。なんだろう、こういうのは見れて良かった。


あんまりメインストリームに触れてこない人生だったので、「ここ最近で格好良かった俳優やアイドルは?」「まんがで登場した最高にクールなキャラは?」「心に刺さった名シーンは?」みたいなものに対して全く思い浮かべることがない状態が続いている。そういう意味では想像力と記憶力に偏りがある。

現実世界で訳のわからない心理戦ばっかりやっていたら、漫画とか読んでたら気持ち悪さが先に来ることが多く、続けられなくなっていたというのもひとつの理由だ。


2025.05.24 / Category : 小噺

オブジェクト配置

仕事上、Vegas proを10年ぶりに使った。10年以上前の使いづらさのまま最新バージョンになっているようだ。

22というバージョンの体験版を使ったが日本語すらまともに入っていない。入るのかもしれないが過去バージョンのデータ継承もまともにやらなくなったのだろう。使い方はYoutubeでなんとなく思い出しながら数時間で簡単な動画を仕上げることができた。

基本、レイヤー配置とかカットみたいな作業しかないなら10分ぐらいのレクチャーで使える奴なので紙芝居ぐらいならすぐに出来てとても楽なのだけど、縮尺とかが独自すぎて面倒くさい仕様だったことを思い出す。しかもここまでバージョンアップしても丸や四角のオブジェクト配置すらままならない事が分かって完全なやる気が失った。ベクターデータの配置みたいなものもあることはあるけれど、直感的ではないし、複数のオブジェクトを一つずつレイヤーで配置するような作りになっているので、プロジェクト全体のタイムラインが即座に見づらくなる。

言い換えるとパワポ感覚で使える機能が全く無いので単なる素材切り用途ででしか使い道が無い。救いがあるとしたらpremierとかの他のソフトで使えるプロジェクト形式に変換するのだけど、それがもし使いづらい形式に改ざんされているようならもう触らない方がいいぐらいだろう。

とりあえず、次回辺りから動画を作るならPremierProを使いたい。そんなに変な仕様じゃ無かったはずだ。昔はマスコレを買っていたけれど、全然使わないしで今はphotoshopしか契約しなくなってしまった。秘蔵の海原雄山コレクションを手入れするのにはphotoshopの方がちょうど良いからだ。Affinityも使い始めたが、なんとなく設定を記憶してくれなかったり、いちいち調整を自分で手を入れないと使い物になっていかない感じが面倒くさい。


最近は昔を思い出すようにクーロン黒沢の動画を見るようになった。温度感といい、淡々とアングラなのかそうでもないフラットな視点で語る動画とかはとても良い。繰り出されるエピソードはとんでもなくエグいものなので、万人に勧めたら寝込むような人が出るのは必至なのだが。DJ北林とかミスターPBXとか覆面で誰かのペンネームかと思ったら本人が登場したりしてアビ教官、キョーフのズンドコになるかと思ったら意外とヌルっとしている温度感だった。

そこから丸山ゴンザレス、村田らむといったライターの答え合わせ動画を見るようになっているが、当時はどんな視線でバックパッカーというのが見られていたのかというのを知ることが出来た。ろくなもんじゃねえな(小並感)

歳を重ねると別世界の出来事だった思ってたものが、地続きじゃねえかという不安や恐怖を覚えるようになってそりゃ戦争とセックスは無くならない訳だと覚えを得る。


老化について記録する。

若い人にも伝わる老化というのが何なんだろうと考えながらと取りまとめる。今までに遭遇したことないバグだらけの状態になることが多い。

・風呂に入って体を温めてから寝ると初めて疲れが取れる。回復までのステップが長すぎる

・腹が減ると満腹が同時に来る。腹が減ったからとみかん1個食うだけでもう食いたくないという気分がやってくる

・寝不足になると吐き気が止まらない

・食事をして満腹になるけれど、食事をしたという満足感が全く無い。

・気がつくととても臭くなる。これは中年特有かもしれないが、手入れしてないとなんだか悪い匂いがするだろうという警戒心がまとわりついてくる。


最近は手軽にゲームをするという環境が全くない。

Destiny2を気軽に起動してプレイできるゲーミングPCならいいのだけど、どれぐらいのスペックが必要なのか検討がつかない。


大阪万博に行ってきた。

ミャクミャクの人形を買ってきたので、個人的な思い出としてはこれで十分。会場では声に反応する人形が売ってなかったので残念だった。レネの人形も買おうかと思ったが、チェコのパビリオンだけで売ってなく30cmぐらいの1サイズだけ9000円で販売されていた。もう少し小さいサイズがあれば買っていたけれど、持ち帰りが大変になるので諦めた。移動に余裕がある人たちに買っていってもらいたい。

万博のアプリでしか予約できない、というのを知ったけれど基本的に予約状況を確認しつつ、予約をいれるのがクッソ煩雑で腹がたった。何が空いているのか1ページで掌握できないし、予約できないと最初のページにまで戻されるので、予約しようという気持ちが萎えてくる。なので散歩して回ったのが印象にしかない。おそらくだが、気の抜けた時期になるだろう9月頃が一番楽しい時期になると思う。並ばずに色々なところに入って見学できるほうが経験としては期待するものだから、今のような予約だ何だで全く入れる空気感の無い今は、それはそれという感じだった。

閉会したら取り壊されるだろう輪っかに登り、内側のパビリオンよりを見渡したものの全貌が見えず、むしろ高い建物がまったくない入口ゲート側の展望のほうが良かったという感想となった。

何かを見聞きすることに対しては高えなあという感想だが、マレーシアやスペインのダンスイベントなんかは並ばずに見える賑やかものだったので、そっちのほうがずっと良かった。北欧のパビリオンを見たけれど、暗い部屋でパワポ動画を見てムーミングッズを買え、という流れだった。解説があれば違うのかと思ったが暗い部屋で待たされても何もなかったため、数分で出てきてしまった。

多分、デザイン建築物を見て回りたいひとだったら楽しいと思う。子供連れとかだったら、ひたすら大変だろうなあという感想になる。


実家に帰る。

静かに狂っていく、という単語を噛みしめる。狂っていくというのは、錯乱するとかせん妄みたいなことではなくて、今まで噛み合っていた歯車が合わなくなっていく、調子が狂うというようなニュアンスだ。親子関係には違いはないのだけど、親が徐々に知らない人になっていくという感覚になる。

過去の記憶も曖昧で、最近と昔の出来事の境目が曖昧になっていく様子を見ていると肉親でさえもどんどん、関係性がない他人へと馴染んでいくように感じてしまった。自分のことも断片的に覚えていたり、過去の知らないことなども今頃になって初めて知るということもあるのだけれど、なんだか怪しい感じになっている。

母親が赤ん坊だったおれに障がいを持たせてしまったんじゃないかと懺悔することとして、息子が誤って階段から頭からコケたという話と認識していたが、違っていた。赤子だったおれが子ども椅子から足を出して、テーブルを蹴飛ばし、ひっくり返って頭から落ちていったという話だった。なんとなく頭の形の話については、自分が赤ん坊を見きれなかったことに対してなんとなくバツの悪そうな感じで話していたので、本当かもしれないが最近のことを覚えていなかったりとなんとなく親も記憶に関しては徐々に断捨離が始まっているかもしれない。そこが、なんとなく少しずつ親子の時の関係性や記憶もすこしずつこの世から消えていっているような感じがして、しみじみと悲しい思いになった。

2025.05.07 / Category : 小噺

背乗り

BungieのMarathon ARGについての日本語情報が全く無いので、英語の情報を漁っているが今はネットの謎解きキャンペーンをしているんだなというところまでが限界だった。しかし、謎解きも無効だと発想力とか、とんちみたいなのではなくて音声解析だとか随分本格的な追い込みかたが必要なものだ。

Destiny2にも同様のことがあるので見ないようにはしているが、バイナリや通信をディスアセンブルして解析している技術系の人たちがいるぐらいなので、「本気」の通信みたいなところは時間の問題にしか思えない。

と思っていたらすべて解けたとYoutube動画で出てきた。

Marathonのデザインを見ているとthe designers republicを思い出す。おっさんしか知らないがWipeoutで随分と尖り倒したデザインハウスだ。30年以上前のデザインの系譜を受け継いだようにしか思えない。サンセリフ体のフォントの選び方とかがかなり共通していることが多い。

3人組でプレイするタルコフ、というのがゲームの根本らしい。

D2と同じように上手にコミュニケーションが取れない時点ですぐに負けるゲームと想定されるので、中国系のすぐに好き勝手遊べないなら相手を妨害するムーブをするユーザーにマッチングで遭遇して、やめてしまう可能性が高そうだ。

現時点で著名なプレイヤーだけを招待してロケテストをしているという情報もあったが、彼ら同士の交友関係を作る素養があるので、新規で何も友人とプレイする習慣の無い人を集める部分に対してのデザインはD2と同じで、おそらく何も無いのが推測される。


Adoが歌で怒鳴るのは気にならないのに、大森靖子が歌で怒鳴ると不快に聞こえるのは一体なんなんだろうと考える。

歌詞などで自分の中にある不快さとかそういうのを関係のない相手に伝える手段だから不快なんだろうと思う。暴力的とは言うけれど関係性がない人からすると他人の喧嘩が楽しく見えるのか、ただただ自分の視界に生々しい他人の都合を意図的に持ち込まれて嫌になる気持ちと同じだ。Adoだとそういうのは舞台というか、明らかにパッケージ化されてていい意味で人生に侵食してこない線引きがあるから気持ちがいいと感じられる。

若い時におっさんのどうでもいい都合を聞かされてウンザリするのと同じで、逆におじさんになった今だと、同世代がその話するのもダルいし、別の世界で生きている人間が世界を代表した詰めと脇の甘い話をしていると、引っ込めてほしいという気持ちになるので個人の性分の話なのだろうなと思うことがある。

街録チャンネルはオープニングはどうしても不快なので飛ばして見るしか無い。


体育会系が悪くない、というかフラットな目で考える時間があった。

この年になってきて彼らが優遇されるのは「教育ができる」とか「面倒が見れる」という他人に干渉できるスキルがあるからだという面も分かるようになった。出来ない奴をどうやってカバーするか、そういう相手の能力を見て、チームのパフォーマンスを考えるみたいなことが出来るかどうか、みたいな創意工夫があるから、他人より優遇されるのだなと思った。

文化系だとそういうチームよりは個人の能力だけで頑張れみたいなボクサーばりの孤独な戦いが強いられる。サークルだとか部活とかはあるけれど、どうにも仕組みなり何かを利用して支えるようなことが無いような気がしてならない。そこが当たり前だと人を助けるだとか、場の空気の支配力みたいなものがどこか自分優先みたいな所になっていく傾向があるような気がする。

体育会系で似たのが多分宗教なのだろうなと思う。コミュニティを運営するというのが価値観が近いほど連絡はうまく出来るけれど、一人だとか、金銭の独占が人生の中でかなり大きい規範になっていると多分、孤立していくリスクが高くなっていくというのが分かった。

2025.04.18 / Category : 小噺

珍々亭

最近は太田胃散の錠剤を常用するようになってしまった。
胃痛やら胸焼けがひどいなあという時に使うと、30分ぐらいでゲップが出て落ち着くという効果覿面の機会が本当に多い。

動画の医者たちは自作のサプリメントの販売に誘導しているからかなりEvilだが、ここだけの製品ごとの区分けなら害は少ないと思って見ている。薬剤師のYoutubeの信頼の無さみたいなのにはビックリしている。知識で的確に殴るとかではなくて、バズりたいとか自己顕示欲が半端ない。なんなんだアレは。


最近見てるYoutubeでIllidianceというロックバンドが紹介されてきたが、かなり好みだ。クリーンボイスが良いと贔屓目になってしまう。


自分が子どもだった時の経験を思い出す。

小学校の門の前で、ファミコンカセットを見せびらかしているおばさんがいた。

30本ぐらいのファミコンをアタッシュケースみたいなものに入れていて、「塾に入れば好きなゲームを1つあげる」という話だった。当時はそういう「商売」みたいなことすら知らなかったので、塾に入りたい的なことを親に言って即座に親から足蹴にされたことを思い出す。今から振り返ると20万ぐらいでファミコンソフトを買い漁って、プレゼントすると言い回るのは倫理的にはさておいて効率的だよなと思ってしまう。商売としてもよくわからないポストティングに期待するぐらいなら、そっちの直接的な宣伝をした方が金になりそうだからだ。法的にもどうかはわからない。

もしもあの塾に入れたとしても、ファミコンカセットなんかもらえる以前に塾自体が存在しない可能性もあっただろうし、塾自体があってももらえる可能性なんかないだろうな。

あの小学校の門の前には変な手合いが集まってきたなあというのを思い出す。町内の夏祭りに知らない中年が勝手に夜になると店を開いて、折ると光るネオンブレスレットとか売っていた。今はもう身元が分からない奴が学校の近くに行けるような世の中ではないと思うから見ることもないと思う。だけどそういう考えは形を変えて出てくるんだから果てしない気持ちになる。


GMKのキーキャップすげえなという感想を抱いた。

・指の腹がザラザラしているがしっかりと指紋と食い込むような粒度になっていてすべらない

・ABSだからなのか、キーの縁に当たっても角が痛くない

・ABSだけどそれほどテカテカにならない

3つ目はそれほど使っていないから勝手な推測だけどFilcoの標準品についているキーキャップよりもずっ と耐久性は高い。


油そばを食べたい。

あの旨さの幅が狭い、店屋物の味だ。

20年ぐらい前に一人暮らしを始めてラーメン屋を開拓するというのをしていた時に、油そばというのがポテンヒットという言葉相応しい感じで小流行していた時期があった。近所にそういう店があったので行ってみるものの、何をかけても味の深みが出てこない独特の味わいにびっくりした。小流行というだけに他の店もあったけれど似たような味しかしなかった。そのために、なんて美味くないものなんだと呆れていた。

ときは流れて、久しぶりにあの味が残っているか調べたかったが、下町にはそういうものはなくてネットで調べないと出てこない状況だ。また食べたい。

モラルとして良いのか?という、あの屋号は気になる。


自宅のAMD機にVMware機にして使っているが、デカすぎてだるいなあと思っている。

個人だからスペックには申し分はないのだけど、単なる開発環境として使うにはそこまで必要じゃないしで小さいサーバーが欲しい。こういう目的だとすぐにノートPCを買いに走って言ってたのだが、いい加減ノートPCも買いすぎて処分するのもダルくなってきてしまっている。物欲よりも形のないものに対しての欲求の割合が増えてきた。

2025.04.05 / Category : 小噺

杏仁豆腐

白髪染めの染め時間がよくわからない。

少なくともLucidoを使うと、おれの髪質だと便臭っぽくなるので、違うブランドを買わないとダメなことは分かった。前はブランドも忘れたけれど、1ヶ月間は強烈な便臭になって使い切れないという地雷製品があったので、次は何を買うべきか不安で仕方ない。どのメーカーのパッケージも似たような感じで「昔の氷川きよしorショーン・Kにどれだけ似ているか?選手権」みたいな感じだし、億劫だ。


Destiny2に対してのモチベーションが意味不明に下がってしまっている。エピソードはクリアするものの、迷宮やらアクティビティなどに対しては前向きな感じにならない状態になっている。


倖佳は、良い方の理由でワンオペ体制になると分かって一安心。

あとは奥さんも健康でいてくれたらと願うばかり。そして、勉強熱心な大将もワンオペで体を酷使しないことを願う。たぶん「一人だと負荷がかかるけれど、やっぱりあれを作りたい」とかやりかねない。これから年単位で一人働くのだから。誰かのつてで弟子を雇えるぐいだったら良いのにと思う。


子供の時以来に科学技術館に行ってきた。建物が70年代の昭和感がすごい。入口の「寄付をした企業一覧」も第一銀行だとか現存しない大企業が多く並んでいる。

色々と建物が老朽化で限界だったり、人も足りていなかったりとマネタイズが全然間に合っていない状態だった。Youtubeでは楽しいところを紹介されているものの、ここ以外は改修中として封鎖していたりとかなり限界を迎えている感じだ。

子供の頃に衝撃を受けたドライブシミュレーターとかは今でも遊べるし、5階にある鉄の玉をアレコレ動かすアトラクションは子供の頃の楽しい記憶を蘇らせてくれる。ただし、バイオサイエンスやら生命科学などはパネル表示とワークショップ頼りになってて、次の時間まで待たないと楽しめるものじゃないし、と最新のものを展示するという感じではなかった。自転車ブースも20年前のパネルのまま放置されていたしでお金がないのだなと感じる。

美術館のような企画やイベントでマネタイズが出来ないのかなと思うが、なかなか厳しいかもしれない。最新技術の展示会やら会議などできる場所だったら会社員的には支援ができそうな感じがしているものの大変そうだ。

あとは子供の頃に小遣いがなくて買えなかった宇宙食も買って帰ってきた。本当はアイスなんか食ってないという身も蓋もない宇宙飛行士からの証拠が出てきて、じゃあアレは何なんだ!?という代物となってしまった。が、良い思い出には変わらない。子どもの時にはドライフリーズすら無かったのから、ロマンを買うようなものだ。

うーん、まずい。


年末から花粉症の薬を飲んでいるが全然ダメだ。つらい。

2025.03.23 / Category : 小噺
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